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● 2021年2月28日 「宣教するとは」 
 

次のような主のことばが私にあった。
「人の子よ。あなたの民の者たちに告げて言え。
わたしが一つの国に剣を送るとき、その国の民は彼らの中からひとりを選び、
自分たちの見張り人とする。
剣がその国に来るのを見たなら、彼は角笛を吹き鳴らし、
民に警告を与えなければならない。
だれかが、角笛の音を聞いても警告を受けないなら、剣が来て、その者を打ち取るとき、
その血の責任はその者の頭上に帰する。
角笛の音を聞きながら、警告を受けなければ、その血の責任は彼自身に帰する。
しかし、警告を受けていれば、彼は自分のいのちを救う。
しかし、見張り人が、剣の来るのを見ながら角笛を吹き鳴らさず、
そのため民が警告を受けないとき、剣が来て、彼らの中のひとりを打ち取れば、
その者は自分の咎のために打ち取られ、わたしはその血の責任を見張り人に問う。

(エゼキエル33章1〜6節)

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私達クリスチャンが神様に対して責任を負っているとすればどのような責任でしょうか。
イエス様は復活してのち多くの弟子達に会い、そしていつも同じことを言われました。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」
伝道しなさい、宣教しなさい、イエス様は命令されたのでした。
確かに私たちは伝道を使命として世の光になろうとして、
地の塩になろうとして努力している者ですが、
なかなかこの世界の人々は心頑なですし、
この世界の君であるサタンも強硬に抵抗し成果をあげれないのが現実であります。
今日はイエス様を伝道する時の心構えを聖書のみ言葉によって学び
しっかりとした伝道できる者となりたいと思います。

 

1. まず第1に伝道の動機は何かであります。
 

エゼキエル33:1−6
教会の牧師から伝道しなさいとやかましく言われるので仕方なく伝道します。
           ・・・続く

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