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● 2020年10月4日 「イエス様に従う」 
 

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、
それを見いだすのです。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。
そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

(マタイ16章24〜26節)

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私達クリスチャンはイエス・キリストを愛し、
そのみ足の跡に従う者として日々努力している者です。
しかし、イエス様に従っているつもりが、
イエス様から知らず知らずのうちにはずれて困難の道に入り、
滅びに歩むことがあるのです。
今日はそんなことがないようにイエス様についていきたいと思う人の
あるべき姿を学んでゆきましょう。
まずこの教えが誰に語られたかを見ましょう、
マタイにはイエス様は弟子に語られたとあります。
マルコ8:34には「イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて言われた」とあり、
ルカ9:23には「イエスは皆の者に言われた」というふうに
イエス様のこの教えは使徒や弟子の区別なく
イエス様についていきたいと思う人が知らなくてはならない事です。
その教えとは16;24「誰でもわたしについてきたいと思うなら自分を捨て、
自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい」と言われました。
これを3つに分けると第1に「さよなら」のあいさつを自分に向かって言い、
第2に自分の十字架という荷物を背負い第3に
イエス様に従って歩まなければならないのです。
第1の自分を捨てるというのは自分自身を否定することです。
ペテロ達は網・船・家族を捨ててイエス様に従いましたし、
マタイも取税所の椅子、自分の持っていた身分、地位を捨てて従いました

 

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