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● 2020年8月16日 「知識と信仰」 
 

私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、
それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、
あらかじめ定められたものです。
この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。
もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、
人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、
神の備えてくださったものは、みなそうである。」
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。
御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。

(Tコリント2章7〜10節)

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今日は「信仰と知識」という題をもって聖書のみ言葉の恵みに与っていきたいと思います。
今日多くのクリスチャンは信仰に関して正しい知識を持っていないので、
これを誤解し一生懸命努力するけれど確個たる信仰に立つことができずに
不幸を数多く体験しているのであります。
そして、人々は信仰というものはただ無条件で信じなくてはいけない、
人間の知識と理性をみな捨てて無条件で盲目的に目をつぶって、
歯をくいしばりそのまま信じなくてはならないと考えて本当の信仰に立てずにいるのです。
しかし、信仰というものはそのようなものではありません。
信仰は知って信ずるのが信仰であって、
確かな知識の上に立って初めてその信仰が風が吹いても、
この天が崩れこの地が沈んでも決して動かない、
目が何の証しも見えず耳には何も聞こえない、
手にふれるものがなくても、信じる信仰はゆるぎないものになるのです。
ですから、今日、私達は知識と信仰に関してご一緒に神様のみ言葉を学んでゆきましょう。

 

1. このような信仰を持つには第1番目に私達の神様は私達のために限りなく尊い主を準備されていた神様だと知らなくてはなりません。Tコリント2:7〜8
 

神様が何を準備されたかを知ってそれを信じることが信仰であって、
神様が準備しないのにそれをあてに
して器を準備しても何の意味もないのです。
             ・・続く

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