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● 2020年7月19日 「主によって強くなる」 
 

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

(エペソ6章10節)

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主にあって強くなるということは神様の御霊なる聖霊様の力によって
満たされることを意味しています。
我々自身の力によって生活するのではなく、聖霊様の力によって力強い生活をするのです。
人間の知恵も哲学も教会の教理も悪魔の手から解放する力、
抵抗し勝利を得させる力とはなりません。
ただ、この力は聖霊様によってのみ人に与えられるものであります。
使徒1章8節 
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるときあなたがたは力を受けます...」
この聖霊様に満たされた時、イエス・キリストが私たちの全存在を支配して下さり、
イエス様の人格が私たちのうちに生きて働くのです。
そして、イエス様が私たちのうちから働き、考え、語られ、私たちの古い考え、
働きetc.は消え去るのです。
そして、聖霊様が下るとき、古い人格が十字架によって背後に追いやられ、
イエス・キリストの人格によって新しく創造されるのであります。
使徒7章23〜25節 若きモーセを見ますと
「彼は40歳の時、神様は自分を通してエジプトの地の奴隷であった
イスラエル人を解放すると考え自らの力をもって...」
「しかし、モーセが80歳の時、彼の肉体が衰え、知恵も力も萎え切ったとき、
燃える柴の中から神様はモーセを召したのでした。
すなわち、燃える柴、ペンテコステを体験した時、
神様は彼をイスラエルの指導者として用いられたのでした。
この使徒7章はステパノの殉教の説教ですが、ステパノは初代教会の執事でありました。
ところがこの執事であったステパノを通して神様はいろいろな業をなさいました。
まず、彼は信仰と聖霊に満ちた人でありました。使徒6章5,8節、7章55節。
神様の御霊に満たされたステパノは神様の御業をし、また、
群衆の中にあっても動ずることなく大胆に主の証しをしています。
これは聖霊様のなせる業であります...続く

 

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