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● 2020年4月19日 「聖餐式の意味」 
 

また、彼らが食事をしているとき、
イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。
「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。
「みな、この杯から飲みなさい。
これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、
あなたがたと新しく飲むその日までは、
わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」

(マタイ26章26〜29節)

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今日お読みしたところは最後の晩餐の記録です。
当時の過ぎ越しの食事はどのようなものであると云えば初めに
1、第1の杯が祝福の言葉をもって回されました。
2、次にエジプトの苦役の思いでとして、苦菜が配られました。
3、第3に種入れぬパンとレンガ色のスープ、
焼いた過ぎ越しの小羊、他の生贄の肉がだされました。
4、第4に家長が祝福して苦菜をスープに浸して食べ一同も食べます。
5、第5に第2の杯が注がれ、子供または最年少者がこの儀式の由来を質問し、
家長が過越しの祭りの意義を教えます。
出エジプト12:26−27.
6、第6に小ハレルと呼ばれる詩編113−114篇が読まれ
讃美と祈りのうちに第2の杯が飲み干されます。
7、第7に家長が手を洗い、パンを取って裂き祝福して食べます。
8、第8に一同が食事を始め、
9、第9に家長が最後の小羊の肉きれ食べ終わると第3の杯が回されます、
最後に大ハレルと呼ばれる詩編120−137編が読まれます。
今日読んだところは一同が食事をしている時の出来事であったようです。
この時にイエス様は聖餐式のパンとぶどう酒の事を規定なさいました。
今日は聖餐式の意義について学んでいきましょう。
3つのみ言葉をもって聖餐式の意義を学びます。

 

1. 26節、この御言葉の解釈をめぐってキリスト教会の歴史上大きな論争となっているのです。
 

それはカトリック教会では今日においても聖餐式のパンとぶどう酒は
イエスキリスト自身であるとの信仰告白を持っていて
ご聖体と称してパンとぶどう酒とを礼拝しています。
そして聖体としてイエスキリスト自身として、
このパンとぶどう酒を先頭に立てて司祭たちが
行列を作って歩く聖体行列を行っているのです。
これは正にこのマタイ26:26のみ言葉に根拠を持っているものであります、
他にマルコ14:22、レカ22:19にも同じように
「これは、私の体です」と同じような記録が残っているから、
これを根拠として聖餐式のパンとぶどう酒をイエスキリスト自身として
礼拝の対象としてしまいました。
トランス・サブタンス変化すると考えた。
これに対してマルチンルターは反抗してカソリック教会を追い出されたわけですが、
ルターも聖餐式のパンとぶどう酒によって、
イエスキリストが降りてくださると信仰告白をしているのでした、
コンサブタンス・降る・・・・・・
このルターの信仰告白もカソリックと同じ偶像観念を持ったものでした。
今日に神社礼拝の祭りは神が降りてくるという意味があります。
祭りと祭りの間は神は神社に居ず祭りの時に降りてくるというのです。
  ツイングリーは                       ・・・続く

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