また、彼らが食事をしているとき、 イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。 「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。 「みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。 ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、 あなたがたと新しく飲むその日までは、 わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
それはカトリック教会では今日においても聖餐式のパンとぶどう酒は イエスキリスト自身であるとの信仰告白を持っていて ご聖体と称してパンとぶどう酒とを礼拝しています。 そして聖体としてイエスキリスト自身として、 このパンとぶどう酒を先頭に立てて司祭たちが 行列を作って歩く聖体行列を行っているのです。 これは正にこのマタイ26:26のみ言葉に根拠を持っているものであります、 他にマルコ14:22、レカ22:19にも同じように 「これは、私の体です」と同じような記録が残っているから、 これを根拠として聖餐式のパンとぶどう酒をイエスキリスト自身として 礼拝の対象としてしまいました。 トランス・サブタンス変化すると考えた。 これに対してマルチンルターは反抗してカソリック教会を追い出されたわけですが、 ルターも聖餐式のパンとぶどう酒によって、 イエスキリストが降りてくださると信仰告白をしているのでした、 コンサブタンス・降る・・・・・・ このルターの信仰告白もカソリックと同じ偶像観念を持ったものでした。 今日に神社礼拝の祭りは神が降りてくるという意味があります。 祭りと祭りの間は神は神社に居ず祭りの時に降りてくるというのです。 ツイングリーは ・・・続く