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● 2020年3月29日 「」 
 

聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。

(マタイ7章6節)

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私達クリスチャンは「裁くな」という戒めが神様から与えられ
兄弟・姉妹を個人的に裁かないこと、
積極的に言えば互いに愛し合うことを神様から要求されています
Tヨハネ4:20けれどもクリスチャンは他人に対して
全然何の評価も何の判定もしてはならないという事ではありませんし、
教会に戒める権利がないということではありません。
今日のみ言葉はむしろこの権利を命じている御言葉です。
正しい裁き、物事を評価することは
非常にデリケートな問題を含んでいるので慎重に学んでいきましょう。

 

1. この御言葉の聖なるものと真珠という言葉で現されているものとは何でしょうか?
 

一般的に聖なるものとは神様に聖別された生贄とか献金のようなものです。
しかし真珠にたとえられものはもっと抽象的なものが多いようです。
たとえば旧約聖書で知恵・すなわち主を恐れる信仰的知恵は真珠に優ると言われます。
しかし、聖なるものを踏みつけ、
神様と教会の栄誉を泥まみれにされるのを放任しておくべきではありません。
噛みつかれて、
こちらが倒れてしまうような危険な人物にいつまでも固執しているべきでもありません。
イエス様もマタイ10:14パウロはTコリント9:19‐23のように
ユダヤ人にはユダヤ人のように、
異邦人には異邦人のように、律法のない人には律法のない人のように伝道して、
忍耐をもって宣教しましたが、福音を語ったが噛みつく犬や豚であることを示された時、
身を転じて異邦人伝道にその道を変えたのでした。
ピシテヤのアンテオケでパウロとバルナバは町のユダヤ人達に云いました使徒13:46
神様の福音を拒否してしまうことは、
自分を永遠の命にふさわしくない者にする大きな罪であると宣言すること。
イエスキリストの命の代価としての
十字架の血潮は犬や豚に与えてはならぬ聖なるものと公表し主張すること、
これは私達クリスチャンの大きな使命ではないでしょうか。
考えていただきたいものです、
真剣に求め取り組む者にイエス様は惜しげもなく与えてくださるのです。
ヨハネ9:35−38、イエス様は今も私達に「あなたは信じるか」と問うていらっしゃいます。・・・続く

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