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● 2020年3月1日 「訓練は喜ばしいもの」 
 

さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。
女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、
三か月の間その子を隠しておいた。
しかしもう隠しきれなくなったので、
パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、
その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。
その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、
パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。
彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。
彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。
それをあけると、子どもがいた。
なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、
「これはきっとヘブル人の子どもです。」と言った。
そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。
「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、
ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」
パロの娘が「そうしておくれ。」と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た。
パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。
私があなたの賃金を払いましょう。」
それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。
その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。
彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです。」と言ったからである。

(出エジプト2章1〜10節)

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神様を信じた私達、神様に用いていただきたいと願うのは当然の事であります。
しかし、私達人間は生まれながらの怒りの子であり、誇るべき何ものも持っていません。
ですから当然、神様は私達を用いるために訓練と心づもりをおしえてくださいます。
今日は旧約の偉大なモーセをみて、
どのようにモーセは整えられ用いられたかを学んでまいりましょう。
出エジプト2:1−10を読みますとイスラエル人は
カナンの地を逃れてエジプトに住んでいまして、
そして、何百年という年月がたち、イスラエル人のヨセフを知らない王が起こっていました。
そしてイスラエル人達はエジプトのパロによって
奴隷とされ重い苦役によって苦しめられていました。
パロはヘブライ・イスラエル人達が多産で増えることを恐れ、
また強い民族であることを恐れ、
生まれ出る男の赤ん坊を皆殺しにしていました。
そんなときモーセがレビ部族に生まれたのでありました。
モーセは生まれてすぐにナイル河に捨てられ、
パロの娘に拾われてパロの子として育つのでした。
彼はパロの子としてエジプトのあらゆる学問を修め、
武芸に秀でて何不自由のない生活をしていました。
そんなある日のこと、彼は自分の出生について知った時、
モーセの心の中にイスラエルの同朋を助けたいという願いがやってきました。
それは神様から来たことであり「神さまの御旨は
モーセがイスラエルの救いをすることだったのです」
それ以来モーセの頭の中は神様の計画で一杯になりました。
寝ても覚めても頭のなかは神様のことで一杯です。
モーセが召されたように神様は私達を家や職場や人生の中でお呼びになるのです。
父母を通じ友人を通じて色々な集会を通じて私達を呼んで
神の子クリスチャンとして呼んでくださるのです。
ヨハネ6:44にこう書いてあります
「私を遣わした父が引き寄せてもらわない限り誰も私の所に来ることはできません」   
                   ・・・・続く

 

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