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● 2020年2月16日 「」 
 

すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、
イエスを見て、その足もとにひれ伏し、
いっしょうけんめい願ってこう言った。
「私の小さい娘が死にかけています。
どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。
娘が直って、助かるようにしてください。」
そこで、イエスは彼といっしょに出かけられたが、
多くの群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。

(マルコ5章22節〜24節)

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随分昔の話でありますが、イギリスの雑誌の中である牧師が
「今日神は人間の人生における問題に対して
なんら関心を持っていない」と言うでありました。
神様は私たちの霊的問題は解決してくださるかもしれないが命の問題・・
滅びの縄目から解放し永遠の命をくださった。
精神的な問題・・心の重荷から解放し喜びと平安と愛の人生へと変化をくださった。
このような霊的問題は解決してくださるが何を食べようか、何を着ようか、
何を飲もうかという生活問題や環境の問題に関しては関心がないと言うのです。
はたして今日神様は私たちの人生問題に全く無関心なのでしょうか、
聖書はこの問題に対して適切なみ言葉をもって語っています。
ヘブル13:8「イエスキリストはきのうも、今日もいつまでも同じです。」
口語訳では「イエスキリストはきのうも今日もいつまでも変わることがない。」
イエス様が霊的問題に関心があり、
人生の生活の問題に関心があるかないかは
イエス様の歩みを見れば一目瞭然であります。

 

1. 今日お読みしましたところでありますがイエス様が群衆に囲まれながら福音を伝えられていらっしゃいました。
 

その時一人の会堂司がやってきてイエス様の足元にひれ伏して泣きながら
「主よ、私の小さい娘が死にかけています。
どうかおいで下さって娘の上に御手を置いてください、
娘が治って助かるようにしてください。」としきりに願ったのでありました。
その言葉を聞いたイエス様はこの会堂司が
直面している問題の深刻さを十分知っておられました。
会堂司の持っていた問題は何を着ようか、何を飲もうかという程度ではない、
一人娘が今にも生きるか死ぬかと言う問題でありました。
これは人がこの世で、現実の生活で直面する問題の中では最も大きな問題であります。
しかしイエス様は      …続く

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