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● 2020年1月5日 「患難の意味」 
 

信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、
イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

(Tペテロ1章7節)

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この年はオリンッピックの年で多くの人々の期待出来る年とともに、
いろいろな不安要素がある年です。アメリカの大統領選・北朝鮮の問題・地球温暖化など。
でも私たちの脇には主がおられるので何も怖いことはありません。
希望は主にあって私達のものです。
雄々しく生きてまいりましょう。
 

艱難に出会うことはこの地上に住むすべての人に定まったことです。
誰もそこから逃げることが出来ません。
ある人たちは神様を信じ神様を恐れて生活するなら、
あらゆる艱難を免れるだろうと思っています
が、現実は、クリスチャンの中でもひどく苦しんでいる者が多くいますし、
又神様と生活を持っている者の内にも絶えず苦しみを受けている人がいます
ですから聖書の中にも艱難や試練はクリスチャンと無縁なものでないと言っています。
かえって艱難と試練の中にいる恵みを得なさいと勧めています。Tペテロ1:7、4:1後半。
さらに有名なパウロの言葉にローマ5:3があり「私は艱難さえ喜んでいます・・」とあります。
神様を知らない人はこう質問するでしょう「もし神様がこの世を愛しているなら、
どうしてこのような悲しみをそのままにしておかれるのですか」と、
神様を信じている人は「もし神様がご自分の子供を愛しておられるなら、
どうしてこんな多くの困難がやってくるのをそのままにしておられるのですか」
と尋ねるでしょう。
又、ある人たちは、「あなたが霊的になればなるほど、
どうして困難が大きく多くやってくるのですか」と言うでしょう。
これは実際に起こる問題であり、必ず私達が直面することであります。
人は神様によって創造されたのにどうして全生涯を通じて苦しまなくてはならないのか
神様の子供として生まれ変わった後もなお苦しみを受け続けなければならないのか。
人の苦しみは神様に献身すればするほどまし加わるのでしょうか。
                  …続く

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