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● 2019年11月10日 「新生するとは」 
 

私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

(ガラテヤ2章 20節)

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今日多くの人が自分はどこから来て何のために生き、
どこに行こうとしているか知りません。
ただ一時的な快楽のために生きています。
このような人に永遠の喜びはありませんし、
彼らは真実の自分を忘れ霊が死んだ状態で生きているのです。
しかし、イエスキリストを心の中に受け入れた私たちは死んでいた霊が生き変わり、
神様の子供となり、永遠の喜びと希望の中に生きているのです。
神様はその一人子イエスキリストの肉を裂き、
血を流して私たちに救いの大きな恵みを与えてくださったのでした。
この神様の下さった神様の子供として生まれ変わった出来事は新生と呼ばれます。
今日は新生とは何かを学んでゆきましょう。
ある晩のことでした。ユダヤの指導者であるニコデモがイエス様を訪れました。
彼はパリサイ人でしかも富める者でその当時の権力者の一人でした。
イエス様も彼をイスラエルの指導者と呼ばれたように敬虔な徳の高い人でありました。
しかし、彼の心の中に永遠の喜びをもっていませんでした。
彼は人目を避けてこっそりと夜中にイエス様を尋ねたのでした。
このニコデモにイエス様はこう言われましたヨハネ3:3「まことにまことにあなたに告げます。
人は新しく生まれなくては神に国を見ることはできません」ヨハネ3:5。
彼はアダムの子孫である私達は自分の能力で生まれる事も、
救う事も出来ないという事であります。
人は超自然的な命と力によって新しく生まれなくてはならないということを言われたのです。
この生まれ変わる、新生とはアダム・エバの堕落の後、
人類を支配している死の力を取り除いて新しい命、
すなわちイエスキリストの復活の命を受けて内に変化することを意味しているのです。 
 

 
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