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● 2019年11月3日 「」 
 

さて、イエスは群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、
向こう岸に行くための用意をお命じになった。
そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。
「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」
すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、
人の子には枕する所もありません。」
また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。
「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
ところが、イエスは彼に言われた。
「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」

(マタイ8章 18〜22節)

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イエス様はマタイ8章で3つの病気を癒す奇跡を行われたのでした。
とくに16節では大勢の病人がイエス様によって癒やされたとあります。
このような時に起こることはイエス様の奇跡を見て
無数の群衆がつきまとってくるということです。
そこでマタイはイエス様に従うということ神様と信じるということは
どのようなことなのかを18-22節で教えています。
私達もある意味では病気・家庭問題・仕事上でのなどの現実問題で悩み、
それに解決が欲しくて求道を始めているものですから、
いつまでもそのような従い方で良いのか考えなおさなくてはなりません。
 

1. 従うための心の準備
  18節をみると、これは奇妙な言葉です。
群衆が皆解散したので向こう岸に渡ったというなら理解出来ますが、
群衆が群がるので向こう岸にいってしまうというのです。
イエス様に伝道の熱心がなくなってしまったのでしょうか。
群衆に対する愛がなくなってしまたのでしょうか。決してそんなことはありません。
イエス様は2つの理由を持っておられました。

その一つは、イエス様は他のところにも福音を伝える任務がありました
ルカ4:42-44。
ペテロの姑を癒したに続いて夕方から大勢の病人を癒されたイエス様は
翌朝さみしい所に行かれたのも又、
大勢のカペナウムの人々がやってきて自分たちから離れないように求めたのに、
私は他の町に福音を述べ伝えなくてはならないと言って去られたのでした。
良き羊飼いは99匹の羊よりも迷える1匹の羊を求めて
山でも谷でも行く愛の人でなくてはなりません。
99匹に注いだ愛を1匹にも注ぐのです。
 

第2の理由はマタイ8:24、
これはイエス様が船に乗って眠られたとはっきり書かれた箇所です。
嵐の中でも眠られたということは、それ程、疲れを覚えられた状況だったのです。
イエス様は弟子たちに対してもマルコ6:31、
ここでは忙しい伝道生活に従事する弟子達の体力に配慮する
イエス様を見ることが出来ます。
イエス様に従う事は、教会の兄弟姉妹に対しても、
また自分自身に対しても神の国の仕事全体とのバランスや、
体力限界とのバランスの取れた考え方をする事を前提としなければ、
正しく把握する事ができないのです。
 

 
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