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● 2019年9月29日 「キリスト教的愛」
 

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が神のものであって、
私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。
途方にくれていますが、行きづまることはありません。
迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。
捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」

(マタイ5章 43〜48節)

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今日のみ言葉はキリスト教の言わんとする愛についてのみ言葉であります。
マタイ5:20、5:48などで言われる聖書の愛とはどのようなものでしょうか。

1. まず最初に、愛するものの対象についてであります。
  ユダヤ人達は昔からの言い伝えによって隣人は愛したのですが、
自分の敵に対しては憎しみを現したようであります。
:43節のみ言葉は旧約からの引用であり

隣人を愛せよという言葉はレビ19:18からきています
 

ところが次の敵を憎めという言葉は
旧約聖書をいくら探しても見つけることが出来ません。
 


どうもユダヤ人が旧約聖書全体を推測した教えのようであります。
例えば旧約でモーゼによってエジプトを脱出したイスラエル人は
旅の末パレスチナに入った時そこの先住民をみな殺しにするように命じられています。
申命記7:5又レビ記19:18のあなたの国の人々を憎んではならないも、
他国人は憎みを抱いて良いが隣人である
同朋のイスラエル人は愛さなくてはならないように教えているようでありました。
ですからイスラエル人は同朋を愛するが、異邦人は憎み恨み、
みな殺しにしてもよいと考えたのでした。
2. しかし、イエス様の言われた事は44節
  「しかし、わたしはあなた方に言います。自分の敵を愛し、
迫害する者のために祈りなさい」でした。
キリスト教的愛というものは隣人であるとか、良い者であろうがなかろうが、
味方とか敵とかというもので区別するのではなくて、
神様によって命を受けた全ての人々に対してなさなければならないものだというのです。
味方でも敵でも愛しなさい。これが天の神様の願いだというのです。

確かに先に言いましたカナンの先住民の聖絶にしても
イスラエルが神様に愛されていて
カナンの先住民が愛されなかったというものではありませんでした。
カナンの先住民が神様の御前ではなはだしい罪を犯していたので、
神様は彼らを裁くためにイスラエルを用いられただけでした。
ですからカナンの先住民を裁かれた後に
神様はイスラエル人を戒めて言われています。申命記9:4-5
 

レビ記19:18にしても、外国人を恨んではいけない、
なおさら同朋は憎むべきではないと戒めているのです。
 

 
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