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● 2019年7月28日 「イエス様が生まれた意味」
 

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。
捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」

(ルカ4章 18〜19節)

右のボタンを押すと、音声メッセージが流れます。
 

イエス様は30歳の時ヨルダン川で洗礼を受けられました。
その時父なる神様から遣わされた聖霊様を受け入れられ、
その後から公生涯を始められた。
イエス様は神の子でいらっしゃったのに聖霊様の力によって公生涯を始めたのでした。
そのように今日もイエス様は聖霊様に満たされた個人、
聖霊様に満たされた教会を通じて働いてくださいます。
つまり私たちが聖霊様を認め歓迎し、
聖霊様にすべてを委ねた時このみ言葉のような個人の生活にも教会にも現れるのです。
では私たちのために神様はどんな祝福を用意しておられるのでしょうか。
 

1. 聖書では貧しい人に福音を述べ伝えとあります。
 
a. まず霊的な面の貧しさは、心の中に信仰と希望と愛がなくなる貧しさであります。
人々は心の中に神様を信じる信仰がないので絶対に平安を体験できないのです。
神様を信じない人は、社会も信じることが出来ず、
誰一人として人を信じることが出来ないのです。
人を信じる事ができないならなんと不安な人生でしょうか。
いつも自分の人生を疑いと否定的な目で生きていかなければなりません。
この世の中には色々な悩みがあります。
そのような悩みを一切父なる神様に委ねることが出来るなら
神様から平安というものがやってくるのです。
 
b. 希望を持てないので生きているのが人生の常です。
私たちは色々な問題に突き当たると絶望に落ち込んでしまう事が多くあります。
全知全能なる神様を信じている人はいつも将来に希望を持つことが出来ます。
それは神様はどんな環境より強い方でそのみ腕に頼るとき
どんな困難からも救い出され希望がやってくるのです。
 
c. 愛もそうです。父なる神様の愛は、
イエスキリストを通じて一人一人に注がれています。
私たちが神様に受け入れられ、愛されていることを悟ると、
神様を愛し隣人を自分のように愛することが出来るのです。
このように信仰・希望・愛を持っていない人を心の貧しい人と言うのです。
神様に信頼出来ず、期待されず愛されることもない人は、
人に信頼されず期待されず愛されなく、貧しく生きるのです。 
 
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