マタイの福音書7章7節の「求めよ、そうすれば与えられるであろう」という言葉は
有名な言葉でクリスチャンでない人々も好んで口にし
色々な機会に求める熱心や勇気をかけ建てるのに用いています。
しかしこのみ言葉は、ルカの福音書にはイエス様が祈り終わった時に弟子達が
「私達にも祈ることを教えてください」と願った時に教えられたものだったので
「求めよ」とは神様に求めるものであって決して人にねだったり、
要求するものではありません。
私達クリスチャンでも神様の御心を求めてあれやこれやと試行錯誤し、
成功しては喜び又失敗して悲しみ、
いろいろと悩みをもって自然とその歩みが停滞しがちなところがあります。
その時に神様は「求めよ」「捜せ」「門をたたけ」と過去の出来事や
自分の弱さや出来の悪さにグジグジしていないで、
未来に向かって前進せよと「求めよ」と言われるのです。
パウロはピリピ3章で「栄冠を得るために一心に走っているのです」
その栄冠を得るために目標を目指してなりふりかまわず「求める」ことが
クリスチャンのノイローゼを解消する唯一の方法なのです。
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