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● 2019年7月21日 「求めよ、さらば与えられる」
 

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。

(マタイ7章 7節)

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マタイの福音書7章7節の「求めよ、そうすれば与えられるであろう」という言葉は
有名な言葉でクリスチャンでない人々も好んで口にし
色々な機会に求める熱心や勇気をかけ建てるのに用いています。
しかしこのみ言葉は、ルカの福音書にはイエス様が祈り終わった時に弟子達が
「私達にも祈ることを教えてください」と願った時に教えられたものだったので
「求めよ」とは神様に求めるものであって決して人にねだったり、
要求するものではありません。
私達クリスチャンでも神様の御心を求めてあれやこれやと試行錯誤し、
成功しては喜び又失敗して悲しみ、
いろいろと悩みをもって自然とその歩みが停滞しがちなところがあります。
その時に神様は「求めよ」「捜せ」「門をたたけ」と過去の出来事や
自分の弱さや出来の悪さにグジグジしていないで、
未来に向かって前進せよと「求めよ」と言われるのです。
パウロはピリピ3章で「栄冠を得るために一心に走っているのです」
その栄冠を得るために目標を目指してなりふりかまわず「求める」ことが
クリスチャンのノイローゼを解消する唯一の方法なのです。
 

a. 私たちの信仰はいつも男性的でなければなりません。
Tコリント16章13節にも男らしく強くありなさいとあります。
今日、私たちは後ろのものを振り切って、過去の失敗や否定的な考え、
消極的な事柄を振り切って、
大胆に男らしく「求めよ」「捜せ」「叩く」信仰をもって前進するものとなりましょう。 
 
b. さらに言葉はあらゆる手段を打てという意味でもあります。
人は「求めよ」と言われても、
求めるべきものが何であるかわからない時があるでしょう。
あまりにも罪深すぎて、天国の門が目の前で閉ざされて、
神様の祝福が閉ざされ、人々は絶望と孤独的に陥るかもしれません。
そこから抜け出すためにどんな時も
「門をたたき」求めるべきものを探らなくてはなりません。
あらゆる手段をもって前進すべきであります。
 
c. この「捜せ」は心が忍耐強くなければなりません。
ルカ11章9節には「友人に対して友人が来たので・・・続く
 
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