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● 2019年4月14日 「」 
 

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。
イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、
御霊はまだ注がれていなかったからである。

(ヨハネ7章 37〜39節)

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世界の国々は毎年膨大な国家予算を計上して教育に力を入れています。
それはその国の文明の尺度が教育にかかっているからです。
今日人間の競争は個人はいうまでもなく社会国家においても脳の競争です。
私たちがイエス様を信じ救われ神の国に入るという
信仰の世界も頭脳の問題なのでしょうか。
人々はより多くの聖書知識や神学知識を持つことによって
もっと深い信仰の世界に入れることが出来ると考えています。
もちろん深い信仰に入るには、このような条件が確かに必要ではありますが、
その知識が深い信仰を生み出すわけではありません。

信仰とは聖霊様の働きに始まり、聖霊様の働きによって成長し、
聖霊様によって完成されるものです。
創世記1:10神様の創造の業を見てもそうです。地は形なく何もなかった、
闇が全世界を覆っていた神の霊が、聖霊がその水の上にあり覆っていたのでありました。
そして神様の言葉に聖霊様の働きがあり6日間で天地創造のみ業が完成されたのでした。
イエス様の福音のみ業も神様のみ業でした。
バプテスマのヨハネから洗礼を受けられことに始まり、
30年間私たちの間に住まわれ人間の弱さを体験され、
その罪の働きに祈りと激しい涙をもって歩まれたのです。
ヘブル4:15そののちの半年の公生涯はあらゆる罪の力を打ち破って
ユダヤを巡り歩まれました。
ルカ4:18・19そしてその最後には十字架につかれ死を体験し復活によって、
死の力を全く打ち滅ぼされたのでした。
イエス様は十字架につけられて、
私たち人類の受け継がなくてはならない罪の代価を受けられたのです。
十字架で6時間の間血を流して、その肉体はむちで破られました。
その苦しみを通して父なる神様は
私たちの一切の罪とその咎を取り除いてくださったのです。     …続く

 

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