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● 2019年3月31日 「弟子となる」
 

主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真中に置かれた。
そこには骨が満ちていた。
主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。
なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。
主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」
私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」
主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。
神である主はこれらの骨にこう仰せられる。
見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

(エゼキエル37章 1〜5節)

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預言者エゼキエルが神様の命令によって預言をすると、
谷間にあった干からびた骨が生き返ったのでした。
エゼキエルが語った言葉は神様の言葉でした.
この神様の言葉が骨に入ると骨と骨が互いにつながって、
その上に筋が付き肉が生じ皮膚がその上をすっぽりと覆ったのでした。
更に神様が息に預言をするように言われ神様の息、
すなわち神様の言葉がその内に入ると彼らは生き返ったというのです。
この神様の息はどのような性質を持っているのか、
私たちにとってどんな働きをもっているのでしようか。
 

1. 神様のみ言葉は聖い御言葉です
 
a. 神様は聖いお方です。聖い神様が聖霊に人を満たし書かれた本が聖書です。
神様の聖い聖書は、
これを聞き親しむ者を浄め人々の情欲と考えと行いを聖くしてくれるのです。
ヨハネ15:3、詩編119:3。
今日もみ言葉と祈りによって人々の行為が清められるのです。Tテモテ4:5。
 
b. さらに聖い聖書のみ言葉は聖い心、
聖い信仰を持つ者の祈りに答えて働いてくださるのです。
ですからみ言葉を疑ったり、批判的に捉えたり、信仰なく接するなら、
み言葉の祝福に一つも与かることが出来ないのです。
罪を悔い改め心を改めて、積極的に、創造的にみ言葉に接し祈リ求める時、
み言葉の力に与かることが出来るのです。
 
2. 神様のみ言葉は祝福の約束のみ言葉です。
  旧約は古い約束、新約聖書は新しい約束です。
旧約はユダヤ人に与えられた約束で、この世界の創造から始まり、
新しい約束を建てるためにメシヤをこの世に送り、
神様が人間と和解してくださると約束が書いてあります。
又新約聖書は神様との和解の約束の内容を使徒たちによって記録されたものです。
ですから私たちは神様の約束をよく調べて
私達にくださった祝福をよく知らなくてはなりません。
神様は祝福のみ言葉の上に立って、神様に求める時すぐさま働いてくださるのです。
マラキ3:6、ローマ4:21。神様は変わることなくいつまでも祝福の神様であります。
神様はいつまでも祝福の神様です。約束を実現させる力を持っておられるのです。
 
3. 神様のみ言葉は命の言葉です。
  ここでいう命の言葉は、み言葉全体が命であるばかりか、
信じる人々にも命が与えられる力があると言う意味です        ・・・続く
 
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