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● 2019年3月17日 「」
 

しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

(ガラテヤ2章 19・20節)

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イエス様は十字架の御業を終えて昇天される時、全てのクリスチャンに対して、
全世界に出て行って福音を伝えるようにと命じられました。
この大宣教命令に従い、全世界にリバイバルを起こそうと私達は携わっているのです、
だれでもどんな人にもイエスキリストを信じた人は
この福音事業に従事している人なのです。
私達は伝道する時細心の注意を払います。
 
a. 教えにも教理においても御言葉からズレないように注意して語りますし 
 
b.

子供には子供のように老人には老人のように砕いて語ります。
 

c. 又人の心,感情を配慮して語っています。

そしてこの福音のテーマがイエスキリストの十字架である事を知って十字架を語るのです。
イエスキリストが十字架で死んで、私達の罪のために死んで、
私達が罪から許されている事,
罪に死んだ私達が信仰によって生かされている事を注意深く慎重に語るのです。
そして人々も、この福音を、十字架を聞いた時感動し、涙を流して受け入れるのです。
イエスキリストを神として認めて聖書を買い求めるようになるのです。
ところがしばらくすると、熱が冷めたように語られた言葉も忘れ、
喜びも感動も薄れ人々は元の生活に戻っていくのです。
多くの人々が教会にやってきては、また教会を去っていくのです。
イエス様に出会って喜んでいたけれど、しばらくして何の変化もなく、
全く語る事も忘れイエス様から離れていくのです。
何故でしょう・・・どうしたら成功的な伝道をすることができるのでしょうか
その理由はこの福音が人の雄弁さや人の知恵によって語られたからです。
人の雄弁さや人の知恵に人の心を変化させる力はないのです。
古い命を新しい命に変化させたり、古い性質を新しい性質に変える力はないのです。
ですから一時的に、
表面的に人を感動させてもしばらくすると人は離れて行ってしまうのです。
このような伝道をしていてもむなしい憑かれるばかりです。
私達はイエスキリストの伝道、十字架を語る時、福音のハウツウや癒される方法論、
教会成長、区域礼拝、グループ伝道の成功論を伝えるのでなくて
知識として十字架の御業を伝えるのでなくて
十字架の命に人々を満たさなくてはなりません。
        ・・・続く
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