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● 2019年2月17日 「命の御霊の法則」 
 

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、
あなたを解放したからです。

(ローマ8章 1〜2節)

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ローマ人への手紙は大きく分けて二つの部分に分かれています。
1−11章までがキリスト教の教理を展開する所で、
それに基づき12章からが私たちの生活と実践について教えています。
教理と実践の二本立ての内容となっています。
又9章から11章は旧約の選びの民イスラエル民族とキリストの教会との関係を語り、
一般のクリスチャンに関する救いの教理は第8章となります。
この8章はキリスト教教理の集大成された所と言われています。
例えるならローマ章は宝石であり第8章はその宝石がきらと輝く、
スパーリングポイントという人もいます。
その中でも1節から4節は非常に大事なところであり
パウロの勝利の科学がこの中に圧縮されたというのででした。
1節にこういうわけで今やキリストにある者は罪に定められることはありません。
どういう理由で今なのかであります。
ロ−マ7章25節で心では神の律法に仕えているが
肉では肉の律法に仕えていると言っているので直ぐに続いているように思えません。
そこで多くの人はかつては7章後半のような者だったが
イエス様を信じた今は救われたと考えて7章後半以前の事のように語り、
クリスチャンになる前の内面的な苦しみをいっていたものだと考えてしまうのですが、
7章7ー25節は導入された懺悔のように理解しているように考えているのですが、
そうではなくて今とは過去に対して今ではなくて語ってきたことに基づいて、
その結論として今はこうだと、結論を言いますと考えることのほうが妥当だと思うのです。
そう考えるとつじつまが合うのです。
8章2節罪と死の法則は・・7章23節肢体に存在する法則25節では罪の律法に仕えている。
8章1節キリストにある者・・7章25節私たちの主イエスキリストにあって神に感謝すべきか、
このように3章21節ー7章の教理を受けとめてこういうわけで今はと言っている訳です。
キリストにある者は罪に定められないは法廷用語であって、
あなたは義とされている。
あなたは無罪放免なのだと宣告された身分を現す言葉であります。
そのことにも1面性がありこの宣告されるまで
刑罰が執行されていくことを含んでいる言葉なのです。
その内容は8章2節以下の言葉で表現されています。
罪と死の法則7章23節25節・・この死の体24節は二つつなぎ合わせた言葉です。
罪と死の法則が働いている、人を必ず死に導く法則が働いている。
これとは反対に命の御霊の法則があるというのです。

 

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