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● 2019年1月27日 「求めよ・探せ・叩け」
 

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。

(マタイ7章 7節)

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マタイ7章7節に求めよ、そうすれば与えられるという有名な言葉で、
クリスチャンでない人々も好んでこの言葉を口にし
色々な機会で求める熱心や勇気をかけたてるために用いています。
しかしこの言葉はルカの福音書においてはイエス様が祈り終わった時に、
弟子達が私達にも「祈りを教えてください」と願ったときに教えられたものだったので
求めよとは神様に求めることで決して人にねだったり求めたりするものではありません。
 

1.
 
a. 私達クリスチャンでも神様の御心を求めてあれやこれやと試行錯誤し、
成功しては喜び又失敗しては悲しみ色々と悩みを持って
自然とその歩みが停滞しがちなところがあります。
その時こそ神様に求めよ、探せ、門をたたけとして過去の事や自分の弱さ、
出来の悪さグジグジしないで未来に向かって前進求めよと言われるのです。
パウロはピリピで目標をもって一心に走っていると言います。
その栄冠を得るために目標を目指して求めることが
クリスチャンの信仰のノイローゼを退散させる唯一の方法なのです。
私達の信仰態度はいつも男性的でなくてはなりません。
コリント書ではいつも男らしくあれとあります。
ですから私達はこれからは後ろのものを振り切って、過去の失敗や否定的な考え、
消極的な事柄を振り切って大胆で、
男らしく「求め」「探す」「叩く」ものになって前進していきましょう。
 
b.

更に「求めよ」「探せ」「叩け」はあらゆる手を打てという意味があります。
人は求めよと言われても求めるべくものが
何であるかがわからない時があるでしょう、
その時「求めるべきもの」を求めて歩き出すのです。
あまりにも罪深すぎ天の門が閉ざされることがあるでしょう。
神様の祝福が閉ざされることが有り人々は絶望と孤独感に陥ることが有るでしょう、
そこから抜け出すために、
どんな時にもあらゆる手段を講じなくてはならないのです。
 

c. この「求めよ」「探せ」「叩け」は祈りは忍耐強さを意味しています。
言い換えれば「求め続けよ」「探し続け」「叩き続ける」と言えるでしょう。
ルカ書にある人が友人宅に夜中に訪ねてくる話があります。
あくまで求め続けるので起きたとあります。
ジョージミュラーが5人の救いのために祈った時一人は5年後に、
もう1人は10年後、2人は25年後、
そして最後の1人は彼が死んで数か月後に救われたというのです。
執念深く、しきりに祈り求めることが3つ目のことです。
2.  
  次に8節を見ると「求める」根拠は、誰であれ得ることが出来るということです。
口語訳では「からである」とあります。
必ず叶えられる信仰の確信を投げ捨ててはなりません。
ヤコブ書に信仰の確信を捨ててはならないとあります。
ではこの確信は何処から来るのでしょうか。
神様は誰でも求めるものを与えてくださるのでしょうか。そのようなことはありません。
これは神様を「天にいますあなた方の父」
と言っていただける神様の子らだけに約束されているものです。・・・・続く
 
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