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● 2018年12月2日 「主の来られた理由」
 

イエスは、そこを去って道を通りながら、
収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、
「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
イエスが家で食事の席に着いておられるとき、
見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。
「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、
行って学んで来なさい。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

(マタイ 9章9〜13節)

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1. 9節
 

マタイという名は「主の賜物」という意味があってマタイ福音書の著者です。
マルコ福音書には2:14ではマタイは「アルパヨの子レビ」と紹介されています。
ですからマタイの本来の名はレビという名で
ちょうどシモンがイエス様に召されたときにケパ(ペテロ)という名を与えられたように、
レビもマタイという名が与えられたようであります。
そして彼は取税人の席に座っていたのです。
当時イスラエルはローマの支配のもとにあり、
ガリラヤ地方はローマ帝国から領主として
エドム人のヘロデ・アンテパスが支配していました。
真の神様を知らない異邦人・偶像崇拝者である皇帝や領主が
神の民から税金を徴収するのでした。
その手先として働いていたのがマタイでした。
「レビ」「アルパヨ」という名から純粋なユダヤ人でありながら、
マタイは同国人から税を徴収していたわけですから人々から憎まれた存在でした。
収税人の報酬ばかりでなく実際にはそれ以上の税を取り、
その差額を着服することは常でありました。
マタイにとって今まで座っていた収税所の椅子から立ち上がって
イエス様に従うことは大きな出来事でありました。
ペテロ・アンデレ・ヤコブも漁師の網を捨てて従ったのですが
残された網や船は家族が使っているでしょうし、
ペテロたちは帰れば漁師としていつでも元の漁師に戻れました。
ですがマタイの場合は違います・・・・・・聖書は各自は主から頂いた分に応じて、
又神様から賜ったままで歩むべきだと教えています。
 

2. 10節
  召されたマタイのしたことは第2に
イエス様や収税人・罪人ともに宴会を開いたということでした。
この10節を読むなかイエス様が自分の家で客を招いて
宴会を開いたようにとらえられます。
9節から続けるとマタイはイエス様に召されて、
イエス様について来てイエス様の家で席についたように考えてしまうのです。
マルコの福音書を見ても家がイエス様の家の様に思えますが、
しかしルカの福音書ではマタイは自分の家で
イエス様のために宴会を開いたと書いてあるのです。
・・・続く
 
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