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● 2018年11月11日 「御霊を消すな」
 

御霊を消してはなりません。

(Tテサロニケ 5章19節)

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私達ペンテコステと言われる流れに所属すクリスチャンにとって、
従来のクリスチャンとの違いはどんな所でしょうか。
それは聖霊のバプテスマの捉え方であります。
イエス様を信じた時に聖霊によってバプテスマされたとされることです。
今日ペンテコステのクリスチャンもこのことに問題を持ってはいません。
しかし昔は異言を語ることと聖霊のバプテスマを受けることが同一視されていたのです。
聖霊のバプテスマを受けようと勧められることは、
異言を語れるようになるという事だったのです。
昔のクリスチャン達はこのように勧められて異言を求めていたのです。
1970〜80年代は異言は聖霊のバプテスマと考えられていました。
今日クリスチャンと教会は異言は2次的なものとして考えるようになっています。
ペンテコステとカリスマ教会は世界中に5億人を持つようになりました。
異言を聖書はどのように捉えているのでしょうか。
 

1. ユダヤ教の指導者の犯す罪とは
 
聖霊の賜物として誰が祈るのか問題にされました。
聖霊・人の霊・両者による、パウロの表現によると聖霊によると考えられます。
 
異言は廃れたのかかつてはチエーンバイブルの注釈に
そのような解釈がありました。
完全なものとは教会なのかイエス様の再臨なのか。
完全なものとはイエス様の再臨によって万物は更新されるものなのです。
 
B 異言は特異な体験なのでしょうかパウロは皆が語るだろうかと言っています。
言葉から当時多くの人が異言を語っていたことが想像できます。
しかしパウロは皆が語ることを望んでいると言い、
教会内で異言を語ることは普通の事であったみたいです。
又語らなくてはならないとも言っていません。
 
2. 異言は何を意味しているのか
 
a. 異言を語るバプテスマは受けるときにどんな条件が必要なのでしょうか。
熱心さ・素直さが必要なのでしょうか。昔は叩き倒したり、腹をつくなどありました。
ここで求められたのは素直さでした。
意味も分からない言葉を神様の賜物として語り続ける素直さが必要でした。
全く愚かな者になって語ることを求められたのです。
 
b. 異言は何を語っているのでしょうか。
神様の奥義を語る人には理解することが出来ないユウチューブで実験されて、
異言は前頭葉の興奮を伴う病気や感情のコントロール・スポーツ選手の
平常心を維持するには効果的と言われた。
パウロは霊で祈るとは霊の徳は得るが、知性では実を結ばないと言います。
異言は瞑想する修道士と違い前頭葉の働きが停止する働きを持っているのです。
 
c. 語られる内容はどのようなものでしょうか。それは賛美と感謝であります。
カトリックにもユビラチオという祈りがあり叫ぶ祈り・声を発する祈りです。
聖霊によって私達の霊が神様の奥義や感謝と賛美を語るのです。
 
d. 感謝ととりなしの祈り。異言を語る時
その最後の祈りは魂に対する神様の愛の表現のように感じていました。
異言によって全世界が神様が愛を表現し執り成しをしているのです。
 
3. 異言によって何を体験出来のでしょうか
 
徳が高まる 
 
謙遜の実現 
 
B 知性の限界などです。
 
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