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● 2018年10月14日 「窮することはない」
 

私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。
途方にくれていますが、行きづまることはありません。
迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、
それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、 それは、
イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。

(Uコリント 4章8〜11節)

 

神様は私達人間を土の器であると言われました。
器とはそれだけでは価値のあるものではなく、
その中に何かを入れるように創られたものです。
その中にものを入れた時始めて価値あるものとなるのです。
同じように私達人間も、その心に神様を受け入れてこそ本当の価値ある者となるのです。
イエス様がこの世に来られ十字架のうえで血を流された理由も、
悪魔の支配を受けている人を救うためでした。
そしてこの土の器なる人間が神なるイエス様をお迎えするなら、
土の器が尊い価値ある者とされるのです。
この土の器にイエス様を迎え入れるということはどんな意味を持っているのでしょうか。
 

1. 聖書は四方八方から苦しめられるが窮することはないとあります。
  この世に生きている限り、多くの敵によって私達は蒸す実殺し滅ぼされそうになります。
しかし十字架によって死と黄泉に打ち勝った、
悪魔に大勝利されたイエス様によって勝利者とされたのです。
イエス様が十字架で」完了した。
と言われたとき私達人類のすべての罪を清算されたのでした。
復活されたことによって私達は永遠に勝利を得る者となったのです。
主またはイエスキリストが私達と共にいてくださることによって
今も勝利を得ることが出来るのです。
 
a. この世の苦しみの嵐が吹いてきます。
罪の証書が私達を責めても、
イエス様はこの罪の債務証書を無効にしてくださったのです。
 
b. 病と人生の悲しみに苦しめられることがあっても、
病に打ち勝ち人生の悲しみに勝利できる人がいるでしょうか。
イエス様は悲しみにも勝利された方でした。
 
c. 人生の呪いから解放してくださいました。
イエス様が33年間の生涯で、
多くの苦しみを負われたのは私達の呪いを取り除くためでした。
エリシャの弟子ゲハジはドダンの町でアラムの軍隊に囲まれた時、
その目が開かれると主の軍勢が見えたのでした。
私達は主の軍勢に取り囲まれているのです。
 
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