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● 2018年10月7日 「安息日の主」
 

そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。
弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。
すると、パリサイ人たちがそれを見つけて、イエスに言った。
「ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています。」
しかし、イエスは言われた。「ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、
ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
神の家にはいって、祭司のほかは自分も供の者たちも食べてはならない
供えのパンを食べました。
また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、
律法で読んだことはないのですか。
あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。
『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』
ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、
罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。
人の子は安息日の主です。」

(マタイ 12章1〜8節)

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真の神様を知るためには神様の御子である
キリストのもとに来て新しいくびきを負わなければ知ることはできません。
しかしそのくびきは当時ラビたちのそれのように重く耐えがたいものではないのです。
イエス様は私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いと言われました。
このくびきとはどのようなものでしょうか。
それは12章1−8節と9章11節以降で安息日と憐みであると理解できます。
当時のユダヤ教で最も大事な戒めは安息日規定でありました。
この安息日における弟子たちの行動が問題視されています。
内容は安息日に弟子達は空腹のあまりダビデと同じに飢えた時、
通りがかりの穂を摘み取って、手で揉みながら食べたということでした。
これは他人の畑のものを無断で食べたのであって盗みになると訴えたのではなく
安息日にしてはならないことをしたという宗教的な訴えでした。
安息日とは週の終わりに、
その土曜日に正当な職業も娯楽も止めて終日礼拝するという規定でした。
弟子たちの行為も手で揉むという労働と揉んで食べるという
2つの労働をしたことになります。
これらの規律は旧約に反したのではなくパリサイ派の戒律に違反したのでした。
しかし弟子達は旧約の安息日に飢えるような
不用意な生活をしたという点では違反したかもしれません。
しかし安息日規定はユダヤの指導者であっても
犯してはならない鉄則であったわけではないのです。
レビ記18:5安息日を守るなら神様が生かしてくださるという約束の戒めで
人を殺すような戒めではなかったのです。
だからイエス様はダビデが飢えていたときパンを食べても、
安息日を破っても罪に問われないことをあなた方も知っているでしょうと言われたのです。
例に挙げられたダビデの食べたパンは礼拝内に並べられたもので律法に背いていました。
このように聖書では失敗した聖徒の記事が挙げられています。
アブラハム、モーゼや祭司アビメレクがダビデにあたえたパンなど
この事件でサウル王がアビメレクを殺す命をだし、
ダビデは国中を追われることになった。
また油注ぎでダビデは大王として国を治めた事もあります。
でもなぜイエス様の弟子達だけが罪を問われるのか。
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