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● 2018年8月26日 「クリスチャンの実践」
 

イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、
イエスに宮の建物をさし示した。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、
積まれたまま残ることは決してありません。」
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。
「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。
あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、
多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、
あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。
しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

(マタイ 24章1〜12節)

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イエス様は神殿でユダヤの指導者たち激しい論争をし、悔い改めを求められました。
その相手は教派では「サドカイ派」「パリサイ派」で祭司長はサドカイ人、
長老達とはパリサイ人でありました。
その内でパリサイ人と激しく論争されたようであります。
のちに「もはや進んで質問する者がいなくなった」とありますが、
群衆と弟子達への言葉でありました。
ここで戒められていることは言うことと行うことが
チグハグであってはならないということでした。
律法学者たちとパリサイ人は典型的な有言不一致な人物でした。
 

1. 律法学者とパリサイ人が何もしなかった訳ではありません。
  彼らのすることをまねてはならないと言われるほど、
彼らはすることはしていたみたいです。
彼らはモーセの席に座り旧約の喜ばしい約束と福音を語らず
律法の義務だけを読むだけでした。
そしてこれらの事を守らなければ呪われよという重荷を負わしていました。
クリスチャンの実践は喜ばしい神様の恵みを信じる信仰から
出てくるものでなければなりません。
次に彼らはモーセの席に座っている。
だから彼らの言葉には従わなくてはならないのです。
神様の言葉は天から降ってくることにこした事はないのですが、
ガブリエルから告げられようとバラムから告げられても従うべきものなのです。
エリヤはカラスによって養われたとあります。
真のクリスチャンの実践は聖書を基準とし、
それも福音をよろこんで受け入れた実践で、
どんな教師から語られようと神様のみこころをむさぼり聞いておこなう
実践でなくてはなりません。
 
2. その内容が書かれています。それは「人に見せる」行いでした。
 
クリスチャンは人の目に偉大とされ尊敬されることを求めてはならないのです。
 
祈りの経札とは、シャマと書かれた紙切れを入れた箱であり(申命記6:4)
 
腰の房
 
B 広場でのあいさつ
 
3. へりくだることを命じている。
  この言葉は食卓で給仕する者という意味があり、後に執事とされた言葉です。
有機体の教会と組織体としての教会があり、
ともに仕えあうことによって成立するものであります。
この戒めは積極的に守るものであります。
 
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