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● 2018年7月29日 「隅のかしら石」
 

もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。
彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、
やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、
農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、
ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。
そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、
やはり同じような扱いをした。
しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、
息子を遣わした。
すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。
『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、
あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』
そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、
そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」イエスは彼らに言われた。
「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。
『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。
これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
だから、わたしはあなたがたに言います。
神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、
その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、
自分たちをさして話しておられることに気づいた。
それでイエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。
群衆はイエスを預言者と認めていたからである。

(マタイ 21章33〜46節)

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私たちは「祭司長や民の長老たち」たちが
イエス様に対して質問をするのを聞いてきました。
この人たちは45節では「祭司長たちやパリサイ人」たちと置き換えられています。
前は身分によっての表記であり後は信仰の立場からの表記で、
当時の祭司長はサドカイ人ですので、
サドカイ・パリサイに限らずイエス様に逆らったと考えてよいでしょう。
この人たちの足をとどめイエス様は悪い農夫の喩を話されたのでした。
この前の喩「二人の子の喩」は彼らが犯してきた頑固、強情の罪が語られたんですが、
今日の喩はこれから犯そうとしている罪が預言され、
その刑罰とともに誰の権威で遣わされたかについて答えられています。
 

1. ユダヤ教の指導者の犯す罪とは
  この喩は旧約から見て、ひとりの家の主人は神様ブドウ園は神の国、
農夫は民から神様の恵みにふさわしく収穫をさせるはずの指導者たちのことです。
主人から使わされる僕とは旧約の預言者、
最後に遣わされるひとり子とはイエス様の事でした。
 
この喩で注目することは神様の恵みの深さです。
良い実が結ぶのに必要かつ十分な面倒ト手筈はすべて整えてくださっています。
 
神様は非常に忍耐深い方です。派遣した僕が殺されたにもかかわらず、
帰らなくても別の僕を派遣されていますし、
最後のは自分の一人子を送っておられます。
 
B イエス様が送られてきたことです。
 
サンヘドリンの質問に対して、
主人に使わされたとその主人とは神様であると答えられたにもかかわらず
信じなかった罪、主人の怒りを買うことになったことです。
このユダヤの罪は重大でした。
彼らはイエス様を殺してでもブドウ園を手に入れたいと思ったのです。
イエス様が主人から使わされたメシヤであると知りながら十字架で殺したのでした。
 
2. ユダヤ教に対する刑罰は
 
イエス様はユダヤ教的話し方によって自らの罪を認めさせ、刑罰を認識させています。
AD70年ローマによってエルサレムは全滅させられました。
全滅するということよりは、ブドウ園が彼らから取り上げられ、
選民としての特権が他の民に与えられる事が重要でした。
 
3. 神様の裁きと神の御子イエス様との関係
  隅のかしら石語なられたイエス様、ゼルバベルが指揮し神殿再建されるときに、
長老たちが嘆き見捨てられた石が後に住みのかしら石として神様によって用いられる。
権勢によらず神様の霊によってこれらの事が起こるのでした。
 
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