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(Tテサロニケ 5章19節)
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私達ペンテコステと言われる流れに所属するクリスチャンにとって
従来の福音派と言われるクリスチャンとの違いはどんな所でしょうか。
まず聖霊のバプテスマの捉え方が違います。
イエス様を信じた時聖霊様によってバプテスマされたとすることです。
今日のペンテコステの人たちもこのことに問題を持ってはいません。
しかし昔は異言を語ることと聖霊のバプテスマとは同一視されていました。
ですから聖霊を受けよという勧めは異言を受けると言うことだったのです。
1970〜80年代、ペンテコステは異言=聖霊を受けると考え
福音派からはキツネツキのように見られていたのでした。
純福音でも趙先生は異言は聖霊のバプテスマを受けた時の
一つの印と考えていたのですが
崔先生は異言と聖霊のバプテスマを同一視していました。
現在はペンテコステとカリスマ教会は全世界で5億人を有するグループになっています。
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1. |
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a. |
異言は人の霊、神の霊、両者によるの訳があります。
しかしパウロは聖霊は切なるうめきをもって祈るとあり、
聖霊様が私たちの肉体と意志のもとで異言で語られると考えます。
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b. |
この異言は一握りの教会が主張するように聖霊はその働きを終え、
預言はすたれ、異言はなくなってしまったのでしょうか。
完全なものが現れると、不完全なものはすたれるのでしょうか。
以前のチェーンバイブルにはそのような記述がありました。
でも完全なものとはイエス様のことで、
再臨によって完全なもの神の国が完成するのです。
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c. |
異言は特異な体験なのでしょうか。
パウロは異言を語らない多くの人がいたと言っています。
皆が異言を語ることを勧めています。
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2. |
異言は何を意味してるか |
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a. |
熱心さと素直さを必要とする。
体を倒したりゆすったりする事がありましたが、
このところで求められることは素直さであります。
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b. |
異言は何を語っているのか。
ペンシルバニア大学の研究では異言を語るときは
前頭葉は働かず瞑想する前頭葉は活発に働いていたようです。
これは異言は知性的なものでないと言う事です。
ですから異言で語る者は霊は実を結ぶが知性は実を結ばないのです。
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c. |
カソリックでは讃美と喜びを表現するための
ユビラチオ(ジュビラーテ・歓喜)の祈りがあり
それは叫び、声を発するものです。
異言は言語の時もあるが多くの場合感情を伴う音、発声の恵み、息と考える。
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d.. |
感謝ととりなしの祈り
異言で祈る時に神様の愛の豊かさ感じることが出来ます。
全世界が神様に支配される事、愛の実践が実現することを祈っているのです。
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3. |
異言を語ることによって何を体験できるのか・・・・続く |
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