さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。
モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、
出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。
モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。
モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、
手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。
しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、
モーセはその上に腰掛けた。
アロンとフルは、ひとりはこちら側、
ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。
それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。
ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。
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(出エジプト 17章8〜13節)
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ヨシュアはレフィデイムの戦いでアマネクに勝利しました。
その時に勝利を得たのはヨシュア率いる
イスラエル軍を執り成して祈っていたモーゼでありました。
山の上でモーゼは神様に祈っていました、その時不思議なことに気付いたのでした。
それはモーゼが手を挙げて祈るとイスラエルが優勢になり、
祈りの手が下がるとイスラエルが劣勢になりアマネクが優勢になるのでした。
このことでモーゼはアロンとフルを用いて祈り続けることによって
イスラエルは完全な勝利を得ることが出来たのでした。
ヨシュアの存在は必要な物でありますが、執り成しの祈りによって勝利したのです。
執り成しの祈りは現実の出来事が左右されるのです。
テキサスのダラスにあるチャーチオンザロックの牧師であった
ラリー・リー先生が伝道集会を導いたのですが、
誰も救われず失望した時、二人の姉妹がやって来て、
今晩は大丈夫です、執り成して祈ったからと言ったのでした。
その場で祈るとその晩のメッセージ箇所が示され多くの会衆が救われたのでした。
その後も同じようなことが有ったのでした。
神様はラリー・リー先生に語り、
あの集会であなたとリバイバルの業とは何の関係もありません、
リバイバルは陰で祈っていた多くの人達がいたからですと言われたというのです。
500人以上の人々が救われたのは
二人の姉妹の執り成しの祈りであると確信したそうです。
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1. |
多とりなしの祈りとはどのようなものでしょうか |
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祈りの同義語として用いられます。しかし執り成しの祈りは全く違うものであります。
祈りは一般には自分のために祈るものですが、執り成しは自分以外のために祈ります。
代価を求めないで祈ることで、「インタ」間、「セデル」行く、
と言うラテン語に由来し神様の前に行くということです。
つまり神様と人の破れ口に立つことを意味しているのです。
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2. |
エステルはペルシャのアハシュエロス王に仕えていました |
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そのときの首長の長であるハマンは
エステルの叔父のモルデカイが自分の前にひざまずかないことに怒りを持ち
ユダヤ人を滅ぼすことを計画しました。
これを知ったモルデカイはエステルに王に執り成しを依頼したのでした。
その執り成しによって急場をしのぐことが出来たのです。
ジョンウエスレーは「信仰の祈りなくしては、神様がこ世に介入されることはない」
ジョンカルビンは「祈りがいかに必要不可欠であるか言葉では説明できない」
と言っています。
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3. |
その他、モーゼは誰よりも執り成しの祈りを捧げたとあります |
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サムエルはエベンエゼルの戦いで執り成しイスラエルを勝利に導いたとあります。
新約になると多くの人々が執り成しているのです。
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