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● 2018年3月25日 「神様を愛すること」
 

その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで、人は、生きものとなった。

(創世記 2章7節)

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神様は人間を創造された時他の被造物とは違った創造をされました。
それはすべての被造物は言葉をもって創造されたにも関わらず、最初の人間アダムとエバは自らの手と自らの命の息を吹き入れて創造されたのでした。
創造の第1日目の光の創造の時は「光をあれ」と言う言葉でしたし、2日の大空は「大空よ水の間にあれ・・・という言葉によって創造されました。
3日目後、植物も太陽、月、星の創造、水の中に生きる生物、空を飛ぶ生き物、昆虫も魚も鳥もすべて神様の言葉によって創造されたのでした。
ところが人間の創造の時は神様は自らの手をもって地のちりで人を形造り、その鼻に命の息をもって自ら生命ある者としてくださったのでした。
又6日間の創造の中で人が創造された第6日には非常に良かったと喜んでおられました。
このように人間の創造は、特別な神様の配慮の内になされました。
この後にアダムとエバが神様に反逆して罪を犯したため滅びてゆくしかない人間を独り子イエス、キリストを遣わして、私たちの罪を赦して下さいました。
ルシファーが堕落した時に御子イエス様が遣わされたでしょうか、世のどんな物より、私たちを特別に愛してくださっているのです。
このよう愛されている私たちはどのような態度を持って仕えてゆくべきなのでしょうか。
 

1. 神様の喜ばれる仕えるクリスチャンの姿は
  心からの礼拝を捧げることです。
礼拝こそがクリスチャン生活の中心であり、神様の命を得る唯一の仕える奉仕であります。
礼拝を中心にしてこそ、神様の祝福がやってくることを実際に体験するのです。
霊と真とはただ熱心であれとか、回数が多ければ良いというわけではありません。
霊とは聖霊様働きなくてはできない礼拝であります。
聖霊様に支配され、感化され、聖霊様の導きによって初めて出来る礼拝の事であります。
真とは真理の御霊によって証されたイエス様の十字架を中心で開かれる礼拝のことです。
つまり聖霊様の働きなしでは出来ない礼拝のことです。
それは全人類は罪を犯したために霊が死んでいます。
神様と交わりができないのです。
ですから聖霊様と交わりをする礼拝によって私たちの霊が生かされ「アバ父よ」と言って礼拝することができるのです。
 
2. 神様の喜ばれるクリスチャンの姿勢とは
 
全身全霊をもって神様の愛に愛を持って答えることです。
神様は死をもって愛してくださいました。
自分の命を懸けて愛するのです。愛には印が伴うものです。
 
神様を愛する人はこの世のどんなものよりも神様を愛するものです。
 
愛は行動を伴うものです。
つまり神様のみ言葉と御心には絶対的に服従するのです。
 
3. 神様を愛するクリスチャンの姿勢とは
  神様を悲しませない者です。
 
神様が一番悲しまれることは偶像崇拝です。
 
姦淫を犯すことです。
 
B 試すことです。
 
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