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● 2018年3月11日 「我が内にキリストが」
 

『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。
あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。

(マタイ 5章38〜41節)

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クリスチャンの義なる生活の例が今日の御言葉で有ります。
この御言葉は有名でクリスチャン以外でもよく知られているところです。
そしてよく誤解されるところです。
ロシアの文豪トルストイはこれをもって絶対無抵抗主義を唱え、悪に立ち向かう警察・軍隊・国家権力のすべてを否定し国を捨て、教会を離れ、家庭を捨ててさすらいの果て孤独な死を遂げたのでした。
このような誤った理解をしないでその中にあるイエス様にある生活を学んでいきましょう。
 
1. 38・39節
 

ここには同態復讐が書かれています。
目の被害に対しては目を、歯であれば歯をと言われているがイエス様は悪人にも手向かうなと言われました。
旧約聖書では加害者の弁財の義務をごまかそうとする心を阻止する者であったり、外国人や同朋の区別なく罪に対する刑罰を公平にするためにあったのでした。
箴言では復讐を禁じているのです。頬を打たれるときも打ちやすいように顔を差し出すように勧められています。
イエス様自身は十字架に付けられる前の夜、大祭司によって尋問される時、下役が頬を打ったことに対し抗議されています。
下役に対する抗議をその上にある権威者に委ねていたのです。
 

2. 40節
  自分の下着を取る訴えです。
私たちは下着の上に上着を着ているので、下着だけを与えることは理解しにくいものです。
この喩は着ているものを奪う追剥のようなものではなく、借金のかたとして訴えているもののことです。
ユダヤ人の上着は日本の着物やマントのように長いもので、貧しい人にとっては掛布団の代わりに用いるものです。
ですから上着は質草にとっても夕方には返さなくてはならないし、特にやもめからは上着を取ってはならないと決められていました。
その意味でも下着は合法的に取れても上着は取り上げることはできませんでした。
この上着はその人に与えられた最低の権利でした。
でもイエス様は奪う者にその権利さえも与えなさいと言われたのです。
パウロは権利があっても行使しないと言っていますし、公衆の面前でムチ打たれた事に抗議しています。
これは公の正義のためには権利は主張され、個人の権利はいつでも放棄するような淡泊さを求めておられるのです。
 
3. 41節
  強いて1マイル行かせる喩ですが、昔王様は各地方に駐屯所を持って命令を伝達させていました。
その時に駐屯兵は民を強いて荷物を運ばせたり必要な牛馬を供出させることができたのです。
特にユダヤはローマに支配されていましたので、人々は憎々しく従っていました。
でもイエス様はこの世の事柄について消極的であってはならない、自分のエゴを捨て合法的に定められた権威に喜んで従うように命じられたのです。
むやみに与え・従うのではなく知恵深くしなければなりません。
このように個人的な恨み、個人的権利、個人的意見、個人的意見は捨てよと言われるのです。
・・・続く・・・
我生きるにあらず、キリストが生きている。
 
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