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● 2018年2月25日 「信仰とみことば」
 

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

(ローマ 10章10節)

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私たちはよく断食をしたり、韓国や色々な国に出かけて恵みを受けようとします。
ある人は神様の賜物を得るために、又ある人は恵を得るために・祝福や癒し・み業・解決の業などです。
私もある時に韓国に断食に行きました。
神様の祝福を得るためでした、
そして祈りの内に最も素晴らしい賜物を得てくることが出来ました。
それは信仰の賜物でした。
信仰こそが罪から人々を解放し、信仰があってこそ癒しのみ業がやってくるのです。
信仰をもっと強くしていただくことが一番肝心なことなのです。
 

1. 否定的な心
  イエス様はいろんなところに出かけて行って癒しのみ業をなさいました。
イエス様は一度も失敗しなかったのです。でも弟子達は何度も失敗しました。
その時にイエス様は弟子たちの信仰を見て信仰のなさを嘆かれました。
確かに神様の時、御心によって伸ばされることもあるかもしれません、
しかし御業に与かるか否かは信仰のあるなしに多くの場合関係しているのです。
 
2. どのような信仰があるのでしょうか。
 
神様の選ばれる信仰とは、私たちと神様の間にさえぎるものがない全き信仰。
神様を唯一の神様と認め聖い心を持って仕える信仰です。
罪を悔い改めて浄められた心に宿る信仰、神様と私たちを遮る、夫・妻・家族子供たち・職業・学問あらゆるものを取り除いて神様を唯一の神様として信じる信仰です。
 
神様のみ業を信じて、すべての環境や状況を乗り越えた超越した信仰を持たなければなりません。
ヨハネ11章にあるラザロの死を、神様の復活のみ業が起こることのために喜ばれたイエス様な信仰を持つのです。
信仰の世界は人の常識や理屈では説明ができないものです。
どんな時にも信仰を強くしていただかなくてはなりません。
神様の臨在があっても、目の前にイエス様がおられても信仰がなくては何も起こりません。
 
Tサムエル4章のエベンエゼルの戦いで主の箱を持って・主の臨在をもって戦っても勝利できなかったのに、7章の戦いでは勝利できたのでした。その違いは主を信じるか否かでした。
 
3. 信仰を持って神様の言葉を告白するのです。
  エゼキエルは骨に向かって神様の言葉を発すると、骨と骨がつながり、筋が付き、肉が生じ、皮膚がその上を覆ったのでした。
そして神様は行に預言するように言われ、神様の言葉がその中に入ると彼らは生き返ったのでした。
この神様のみ言葉の性質をよく理解しなければなりません。
 
神様のみ言葉は清い言葉です。
 
命の言葉です。
 
その内に命が宿っているのです。
 
神様の力が宿っています。
 
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