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● 2017年11月5日 「主は羊飼い」
 

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

(詩篇 23篇)

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聖書ではすべての民は羊、
羊を指導し養う指導者は大牧者を含めて羊飼いと表現しています。
ですから詩編23篇でダビデは主は私の羊飼い・・・と表現していますし、
多くの預言者たちは羊と羊飼いの関係を記述しています。
モーセは「主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください」
と神様に祈っています。
詩編95:7には「主は私の神私たちはその牧場の民その御手の羊である」
と言い私たちクリスチャンは羊であると記述しているのです。
フイリップスケラーという牧師は以前羊飼いだったので、
その著作でこのように言っています。
200頭ほどの羊が牧場で休息していたのですが、友人が町からやってきて、
その車から子犬が下りてくるなりこの200頭ほどの羊はわけもなく暴走したということです。
1頭が恐怖に陥ると伝染病のように群れ全体に恐怖が伝わったと言うことです。
また羊の世界には絶えず緊張状態があるのです。
あらゆる動物の世界に支配の序列、地位の序列というものがあります。
ニワトリの世界にはつつく序列、牛の世界では角で突く序列、
羊の世界では頭で突く序列です。
また害虫による苦しみから解放しなければなりません。
羊は鼻ハエや馬ハエ、ダニなどのよって錯乱状態になって
足を踏み鳴らし頭を振ってヤブに突進していくのです。
その結果走り切って死を招いたり傷ついたりするのです。
飢えからいつも解放しなければなりません。
そのために絶えず良い牧草の茂る牧場に導くのです。
きれいな水のほとりに導くのです。
この羊のような民を委ねられていたにも関わらず
ユダヤの指導者は民の世話をしないばかりか彼らを虐げ、
民を散るままにしているとイエス様から批評されているのです。
そして神様はダビデに油を注ぎ牧者とし今日イエス様が大牧者としておられるのです。
羊の性質は人に似通っている。臆病・恐れる・緊張・苛立ち・飢えなどを常に感じている。
   
   
   
   
   
   
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