エルカナには、ふたりの妻があった。
ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。
ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。
この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。
そこにはエリのふたりの息子、主の祭司ホフニとピネハスがいた。
その日になると、エルカナはいけにえをささげ、
妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。
また、ハンナに、ひとりの人の受ける分を与えていた。
彼はハンナを愛していたが、主が彼女の胎を閉じておられたからである。
彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、
ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。
毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、
ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。
それで夫エルカナは彼女に言った。
「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。
あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」
シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。
そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそばの席にすわっていた。
ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。
そして誓願を立てて言った。
「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、
このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、
私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。
ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。
それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。
エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」
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(Tサムエル 1章2〜14節)
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サムエル記は紀元1100年ごろから900年までのことが記録されています。
このサムエル記の上は預言者サムエルの誕生の様子が詳しく語られています。
モーセを指導者とし出エジプトをして、
40年間の荒野を彷徨って約束の地カナンの入リ口まで来たときに
預言者モーセは神様のみもとに召されてしまいました。
そしてモーセに変わってヨシュアが指導者として立ち、
ヨルダン川を渡って約束の地に入ることが出来ました。
そしてヨシュアが世を去った後次々と人が立ちイスラエルを指導し、危機を救ってきました。
そのように神様に立てられた人々を士師とも裁き司と呼んでいました。
この士師の時代が終わり、
サウル、ダビデという王が起こされ王朝時代がサムエル記から始まるのでした。 |
1. |
2節を見ますと |
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エルカナには2人の妻があったとあります。
エルカナはハンナをめとりハンナを愛したのですが、ハンナは子を産まない女でした。
ですから当時の習慣に従って第2の妻をめとったのでした。
このペニンナによって相続する子供をもうけたのでした。
7節では毎年主の宮に登って行く毎にハンナを苛立たせたのでした。
それはエルカナのハンナに対する愛に嫉妬しペニンナはハンナを憎んでいたからでした
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2. |
9節 |
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毎年悩まされ続けたハンナは主の前に祈ることを決心し立ち上がったのでした。
クリスチャンが信仰生活の中で問わなければならないことは
誰の前に立ちあがったかであります。
多くの悩むような問題を私たちは抱えていますが、
誰のもとに持っていくかが問われるのです。
ハンナが神様を知らなかったなら、ペニンナ、エルカナ達を恨んだでしょう。
彼女は悩みを神様に向けたのでした。私たちを唯一助ける方に目を向けるのです。
ペテロが湖の上を歩いた時、目をイエス様に向け続けるなら歩み続けたでしょう。 |
3. |
11節 |
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そしてハンナの祈りに学ぶことは、彼女の祈りは謙遜だったということです。
彼女は祈りの中で自分のことをはしためと何度も言い、謙遜な祈りをささげています。
このような状況ですと、
自分の置かれた状況を神様に向かって訴えたり、なじるような祈りになるものです。
この謙遜な祈りは退けられることはないのです
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