また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、
弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。
「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。
罪を赦すために多くの人のために流されるものです。ただ、言っておきます。
わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、
わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
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(マタイ 26章26〜29節)
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最後の晩餐の時、イエス様はぶどう酒とパンをもってとって食べなさい、
これは私のからだですと言われました。
この時のみ言葉の解釈をめぐって今日まで大きな論争になっています。
それはカソリックはパンとぶどう酒はイエス様自身であるとの信仰告白を持ち、
聖体と称し祭司たちを先頭に列をなしています。
聖餐のパンとぶどう酒は、
イエス様の体に変化すると信じているのです。
ルターはこれに反発したのですが、
彼もイエス様が下ってくると教えたのでした。
これらの考えは偶像的観念を持ったものでした今日の教会の教えは、
パンとぶどう酒は記念としてあるものと信じています。
ふさわしくないままでとは聖餐の意味を取り違えてはならないと忠告しているのです。
ではどのような意味を持っているのでしょうか。 |
1. |
死と契約を意味する |
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あなた方のために裂かれた体という表現があり、
パンは十字架の死を意味を意味します。
パンについて体であると言われたときに骨も血も肉も含めたものですが、
そのあとに血だけを取り上げています。
血には2つの意味があり、第1はいけにえとして、第2は契約を意味しています。
旧約のモーセの契約では、契約の印として祭壇と人々に注がれ成立したのでした。
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2. |
契約の内容 |
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アブラハムが神様と契約した時にはいけにえの間を神様が歩まれ、
神様自身保障となられ成立したのでした。
新しい契約はイエス様が自ら生贄となり結ばれた契約なのです。
イエス様が保障となられた契約なのです。
この十字架の契約は、人間の不義や罪によって、
人間の不履行によって破られることのない契約であります。
旧約のシナイの契約は人間の側に守らなければならないものでした。 |
3. |
過ぎ越しを迎えない |
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過越しを迎えることが出来ないほどに十字架が迫っていることを意味していますが、
天の御国で過越しを迎えるまで過ぎ越しの迎える必要がなくなった。
代わりに十字架の契約をいつも覚えるように聖餐をするように命じられたのです。
旧約の契約から新しい十字架の契約に移ったことと、
古い儀式から新しい儀式である聖餐に移ったことを見ることができるのです。
そしてイエス様はこの十字架のあがないの恵みを
自分のものとせよと言われたのでした。
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