イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、
バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳にはいった。それを主が知られたとき、――イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが、――
主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
それで主は、
ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
そこにはヤコブの井戸があった。
イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。
ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。
イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。
弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
そこで、そのサマリヤの女は言った。
「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、
飲み水をお求めになるのですか。」
――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。――
イエスは答えて言われた。
「もしあなたが神の賜物を知り、
また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、
あなたのほうでその人に求めたことでしょう。
そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、
この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。
ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、
この井戸から飲んだのです。」
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(ヨハネ 4章1〜12節)
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イエス様は彼の生涯における最初の奇跡をガリラヤのカナでおこなわれました。
この奇跡は結婚式の宴会で水をぶどう酒に変えるという奇跡でした。
この奇跡によってイエス様はその生涯において
私たちになされる業を教えてくださったのです。
すなわち水がぶどう酒に変化したように、イエス様は私たちの所に来て、
私たちの運命と環境を変化させてくださるのです。
また悲しみを喜びに、絶望を希望に、貧しさに変えて豊かさを与えられるのです。
このイエス様のカナでの奇跡はどのようなものだったのでしょうか。
それは結婚式の宴会にイエス様は母マリアと弟子達と共に招待されていました。
多くの招待客で賑わっていたのですが、ぶどう酒がきれてしまいそうなったのでした。
マリアが気付きイエス様に訴えたのです。でもイエス様はそっけない返事でした。
しかしマリアは手伝い者たちにイエス様の言われた事に従うように言ったのでした。
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1. |
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マリヤの言葉にイエス様は私には関係のないことと突っぱねたにもかかわらず、
イエス様に期待しています。
私たちの神様は祈りやその願いを聞いてくださる方です。
試練や困難があっても、それは祝福に変化させてくださると期待しなくてはなりません。
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2. |
イエス様がともにおられた |
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彼らが祝福を受けた第1の理由はイエス様が招かれていたということでした。
イエス様は神様が肉体を取ってこられた方です。
イエス様がおられるということは神の国が来られたということです。
神様の国に不可能なことは何もないのです。
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3. |
水がめに水を満たすこと |
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婚礼の場所に6つの水瓶があり、この水瓶に水を満たすように命じられたのでした。
この水瓶は人を象徴する者です。人は人生に水瓶をもって生きています。
事業であったり、家庭であったりするのです。
この水瓶に水を満たすために古い水を捨てるのです。
① |
神様を信じない罪を捨てるのです。
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② |
自分中心の人生を捨てる。
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③ |
人を憎むことを捨てる。
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④ |
すべての恐れを捨て去てて主により頼むのです。
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⑤ |
挫折からくる絶望感を捨て去る。
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⑥ |
否定的な人生観を捨てて新しい水を注いでイエス様に委ねる時、
水はぶどう酒に変化するのです。
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