しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
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(ローマ8章 37〜39節)
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私たちはよく「私は悪魔と戦った」と聞くことがあります。
しかし人が悪魔と戦っても勝利することはできません。
イエス様が悪魔を十字架で打ち破って下さり、
私たちはイエス様に対する信仰によって悪魔に勝利したのです。
又罪と戦ってるわけでもありません。
罪に勝利できるなら旧約の聖徒たちはとっくに勝利したことでしょう。
私たちクリスチャンの真の戦いは信仰の戦いであります。
イエスキリストの十字架によって悪魔が敗北したことを信じない事、
イエスキリストの十字架によって罪が取り除かれたことを信じない事、
イエスキリストが全人類の救い主であり、
癒し主、王の王、主の主と信じない事と戦うのです。
私たちの敵は悪魔であり、罪ですが、
それ以上に戦わなくてはならないのは私たちの不信仰なのです。
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1. |
新生を信じない |
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新しく創りかえられたことを信じない事です。
確かにある人は罪から救われた、病や人生の困難から救われたでしょう。
そうではなくイエス様信じて救われたと言うことは、
古い命と性質によって生きていた者が
新しい命と性質によって生きるようになったと言うことなのです。
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2. |
立場が変わったことを信じない |
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イエスキリストを信じた時にイエス様を長子とする神様の家族の一員に、
神様の子供として認められたことを信じない事と戦うのです。 |
3. |
義なる者と認められた |
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イエスキリストによって罪赦されたばかりではなく
神様の前に義なる者とされたことを信じるのです。
人は罪と戦いながら人生を歩まなくてはなりませんでした。
この罪はあらゆる困難を引き起こして苦しみを持ってくるのです。
この罪が精算されたばかりではなく、神様は義人として認めてくださるのです。
義なる人として神様と共に歩むことができるのです。
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4. |
主のみ名を使う特権 |
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私たちが主のみ名を用いるなら悪魔を打ち負かし勝利を得ることができるのです。
イエスキリストの権威を主のみ名によって現すことができるのです。
イエス様のみ名のもとで仕事をするし、病人を癒し、神様の力に満ちるのです。
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5. |
神様の言葉に頼る |
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神様の命によって生まれ変わったクリスチャンは
内にある永遠の命を存続しなくてはなりません。
そのために神様の言葉を食するのです。
クリスチャンとして維持するのが精一杯ではなく、
神様の命が成長し神様の栄光が現れるようにみ言葉に頼るのです。 |
6. |
信仰を告白する |
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内にある信仰を告白することによって、自分を支配し、
すべての環境を支配していくのです。
神様の創造の業は言葉を言い放つことから始まりました。
この創造の法則を人にも与えられたのです。
内にあるものを、外に言い放ち実現させる法則です。 |
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