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● 2017年7月16日 「主は油注がれる」 
 

主はサムエルに仰せられた。
「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。
わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たして行け。
あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。
わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。」
サムエルは言った。「私はどうして行けましょう。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」
主は仰せられた。
「あなたは群れのうちから一頭の雌の子牛を取り、『主にいけにえをささげに行く。』と言え。いけにえをささげるときに、エッサイを招け。
あなたのなすべきことを、このわたしが教えよう。
あなたはわたしのために、わたしが言う人に油をそそげ。」
サムエルは主が告げられたとおりにして、ベツレヘムへ行った。
すると町の長老たちは恐れながら彼を迎えて言った。
「平和なことでおいでになったのですか。」
サムエルは答えた。「平和なことです。主にいけにえをささげるために来ました。
私がいけにえをささげるとき、あなたがたは身を聖別して私といっしょに来なさい。」
こうして、サムエルはエッサイとその子たちを聖別し、
彼らを、いけにえをささげるために招いた。
彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、
「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。

(Tサムエル 16章1〜6節)

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ダビデといえば
 
彼の家系からイエスキリストが生まれ、詩編の150篇中75編が彼の作だと言われ、
旧約の王、預言者、いくさ人としていろいろな能力に満ちた人でした。
このようにイスラエル民族を輝かしい民族に導いた人物と想像するのですが、
 

反面聖書はダビデの失敗も語っています。
バテェシバをヘテ人ウリアから奪ったことなど又彼は神殿建設を願ったのですが、
いくさ人として多くの血を流したために許されず、
その子であるソロモンが神殿建設をしたのでした。
 

Uサムエル24章の中には詳しく説明されてはいませんが、
イスラエルの数を数えることで高ぶり
7万人のイスラエル人が疫病で裁かれたのでした。
 

彼は死ぬ間際にはソロモンや後継者たちに報復することを命じています。
このように見ていきますとダビデのイメージが悪くなってきます。
詩編23篇やゴリアテを倒した信仰に満ちた人物ではありましたが、
私たちと同じ人の弱さを持った、醜い罪を持った人にすぎないのです。
しかし彼の祝福された2つの理由を見ることができます。
 

1. 小さなものだった。
 
神様が用いた人物は皆小さなものでした。
  壮大で、派手な者大げさな者より、謙虚で質素な小さな者ばかりでした。
それはエルサレムは小さな丘でした。ダビデはベツレへム生まれでした。
イスラエル民族、ユダ族もしかりです。
イエス様もナザレ出身で、
ナタナエルはナザレから何の良いものがでようかと言ったぐらいでした。
 

神様はサウル王を捨て、サムエルに王としての油注ぎを命じました。
ベツレヘムのエッサイの家に来た時に
長男エリアブからみて誰にも油は注がれませんでした。
末の子であるダビデは羊の番をしていたのです。
このように人からも軽んじられていたダビデを選ばれたのです。
 

兄弟たちからもダビデを見下していたようです。 
人は上辺を見るが神様は内を見られる。
 

2. ダビデの内にあるもの
 
ダビデは血色のよいものでした。
この赤いと言う言葉はエサウにも用いられています。
それは原始的で野蛮な者の象徴でした。
このアドモニな人とは血の気が多い、
傲慢で血を流す人殺という意味があったのです。
 

しかし目が美しく、姿も立派でした。
神様はダビデの信仰の姿勢を見られたのでした。
ギリシャ70人訳には主に対して姿も立派とあり
どんな時にも信仰の人でありました。
そして油注ぎの後人々は彼を王として拝めるようになったのです。
 

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