神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
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(ピリピ人への手紙 2章13・14節)
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長い間人々は間違った考えと間違った信仰を持って生活してきました。
それは人びとは神様は厳しく、恐ろしい存在と考え、
神様の御心に生きようと思えばその時から、
癒されにくい病気をもたせたり、貧困や困難が絶え間なくなり、
人生の喜びは一つもない生き方を求められるような否定的な考えをもって生きてきました。
しかしこれは間違った考えです。神様は良い神様なのです。
良い神様が私たちの人生に悪いことが起こることを望まれません。
良い神様が私たちの人生から喜びを取り上げて苦痛を与えて喜ばれることはありません。
「神様は御子を惜しまず全ての人に与えられた、
万物を与えないことがあろうか」とあります。
神様は十字架を人類に与え、永遠の命を与え、天国の栄光を与え、
あらゆる苦痛を体験しない人生を望んでおられるのです。
「盗人が来るのは盗み、殺し、滅ぼすためだが、
イエス様は命を与え、もっと豊かになるために来た」
ではどうしたら神様の祝福に与かれるのでしょうか。
それは御心と時を知ることです。 |
1. |
御心を知るには |
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御心が人の心に臨むとき、心の中に不思議な熱い願いが起こるのです。
神様のくださる思いは、時が経てば経つ程益々熱く燃え上がるし、
人の考えは祈れば祈るほど冷めていくものです。
サタンの持ってくる思いは祈れば冷めて消えていくものです。
神様は私たちの内におられるのです。
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2. |
勇気が起こる |
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神様の御心に生きるとき、驚くほどの勇気に満ち大胆になれるのです。
なぜなら実行し完成させてくださるものは神様ご自身だからです。
人にはできないが神様にはできると信じるからです。
ヨシュアが若かったけれど信仰に立ってイスラエルの民を勝利へと導いた。
またモーセもパロの軍勢が押し迫っているにもかかわらず
信仰の勝利を勝ち取ったのでした。
ダビデもこれは信仰の戦いだと言ってゴリアテに勝利しました。
私達の人生の戦いは主の戦いなのです。 |
3. |
御心に生きる人は従順になる |
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御心に生きる人は犠牲をいとわない。
子供を宿した女性が苦痛よりも人を生み出す喜びに満ちているように、
願いを起こさせ、勇気を与えて実行させてくださるとき
私たちはどんな犠牲をも喜んで捧げることができるものです。
パウロがキリストを知るためにはすべてのものを捨てたように従順になるのです。
そしてその結果、モーセには火の柱と雲の柱、紅海の奇跡。
ヨシュアには川が分かれエリコの勝利。パウロには世界宣教の実現となったのです。
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