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● 2017年5月21日 「」
 

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。
そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、
どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

(マタイ 7章7〜11節)

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今日取り上げた御言葉は祈りの姿勢を教えるものです。
大変有名なみ言葉で世の中でもよく用いられています。
神様に求め祈るなら人には不可能だと思えることも可能になると言うのです。
ルカ19:9にも同じみ言葉があり、
1節の弟子達が「私たちにも祈ることを教えてください」に答えたものでした。
ですから求めよ・・とあるのは人やこの世にも求めるものではなく神様に求めるものです。


1. マタイの福音書には2つの祈りがあります
  マタイ6:5〜15、これは偽善的な祈りに対する戒めで、
慎ましい隠れた祈りを勧めています。
これに対してこの祈りはイエス様から求められている
クリスチャンからほど遠い者に対して、悲観して、
うろたえているクリスチャンに祈らせようとする勧めのみ言葉なのです。
1・3・6節にある基準の高さで驚愕するクリスチャンに対して、
グジグジと過去に捉えられたり、躓いたクリスチャンに対して未来に向かって前進せよ。
求め・捜せ・叩けと祈りに挑戦せよと勧めています。
ピリピ3:13・14がクリスチャンのあるべき姿なのです。
Tコリント16:13男らしく・強く、失敗や自らの弱さに立ち向かい大胆に
「求め・探し・叩くならどのような環境も変化するのです。
2. 祈りによって前進するとき、その祈りは問題に応じて少しずつ変化するのです。
 
求めるためには目標を定めなくてはなりません。
目標・ビジョンのない祈りは何の効果も期待できません。

次に目標には目的が伴うものです。
何をするために目標を定め祈っているのか目的が定まっていなくてはなりません。

次にどの方法で向く表が実現するか方法を求めるのです。
ですからいろいろな道で求めるのです。
この祈りは忍耐強く祈ることを要求しています。
ルカ11:9に・・・しきりに願うので起きて必要な物を与えたとあります。
執念深くあきらめずに求めましょう。ヤコブ1:5〜8
3. この世に求めることによって得れる物とはなんでしょうか。
  このところでは父親がパンを求めものにパンを必ず与えるとはありません。
同様に神様が祈りをそのままかなえるとは言わずに
もっと良いものを下さるというのです。
Uコリント12:7〜10パウロが癒しを求めたが叶えられませんでした。
弱さにかえ恵みが増し加えられたのです。
ルカの福音書で、それは聖霊様が与えられるとあります。
祈りの結果聖霊様の働きが起こり祈りは自ら聞かれるのです。
聖霊様は祝福の源です。この聖霊様と私達が祈りによってひとつになるのです。
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