ところが、良い機会が訪れた。
ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、
祝宴を設けたとき、ヘロデヤの娘がはいって来て、踊りを踊ったので、
ヘロデも列席の人々も喜んだ。
そこで王は、この少女に、「何でもほしい物を言いなさい。与えよう。」と言った。
また、「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう。」と言って、誓った。
そこで少女は出て行って、「何を願いましょうか。」とその母親に言った。
すると母親は、「バプテスマのヨハネの首。」と言った。
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(マルコ 6章21〜24節)
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昔イギリスの雑誌の中に牧師が投稿して
「今日神様は人間の人生における問題に対して何ら関心を持ってはいない」
という事を表明しました。
神様は私たちの霊的な問題は解決されるが、
何を食べようか、何を飲もうかといった問題には関心がないというのです。
果たして神様は人生の問題に対して関心がないのでしょうか。
このことについて適切な言葉によって神様は答えておられます。
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1. |
会堂管理者の家に行かれる |
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イエス様の所に一人の会堂司がやって来て自分の娘を癒して欲しいと願いました。
その時イエス様は霊的なことは解決するが、
この地上の現実の問題は関心がないとは言わず、
私と共に行きましょうと言われたのでした。
また会堂管理者の家から「あなたの娘は亡くなりました。
イエス様にこれ以上煩わせる事は無駄だという知らせが来たのです。
でもイエス様は「恐れないで、ただ信じなさい」と言われました。
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2. |
幸いを得るために |
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イエス様を宗教的な神様、哲学的な、倫理的な道徳的なイエス様と捉えないで、
日常的な事は勿論、人間の全ての問題を解決される、
全能の主と信じなくてはなりません。
私達が人生に起こる問題を神様の問題とするならすべて霊的問題なのです。
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3. |
問題の核心を除く |
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問題の原因は人間の貪欲なのです。
アダムから神様のようになりたい、
勝手気まま生きたいと願う欲が問題を引き寄せるのです。
また神様は助け手を差し伸べても、人の悪がその助けを阻むのです。
貪欲を離れ、悪から遠のくことをしなくてはなりません。
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4. |
神様を第一にする |
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生活の中心は神様の御心に生きることです。
礼拝、信仰生活、捧げ物の生活をすることを疎かにしないようにしましょう。
神様の手の中に生活するのです。
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