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● 2016年12月18日 「クリスチャンの謙りについて」
 

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。
「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。
「まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、
決して天の御国には、はいれません。
だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
また、だれでも、このような子どものひとりを、
わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、
大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。
つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。
もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。
片手片足でいのちにはいるほうが、
両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、
それをえぐり出して捨てなさい。
片目でいのちにはいるほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、
あなたにとってよいことです。
あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。
まことに、あなたがたに告げます。
彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。
〔人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです。〕
あなたがたはどう思いますか。
もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、
その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。
そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。
その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、
天にいますあなたがたの父のみこころではありません。

(マタイ 18章1〜14節)

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弟子たちの間ではいつも誰が天の御国で偉いのだろうかという論争がありました。
イエス様は今日のみ言葉でクリスチャンのへりくだりと兄弟への配慮を教えておられます。
イエス様は宮の納入金を治めなくてもよい方でしたが
取税人をつまずかせないように治められました。
イエス様でさえこのように配慮されたのですから
クリスチャンが兄弟姉妹のためにあらゆる注意を払うべきであります。
弟子たちはメシアであるイエス様を十字架に追いつめた罪よりも
天の御国での地位についてが心を占めていたのです。
 

1. 天の御国で偉い人は
 

自分をへりくだらせキリストだけを崇める人です。
ここでの子供のようにとは自分を低くするということです。
自分自身の力で立っていると思わないで
神様によって立たされていることを自覚するのです。
弟子に言われたように、イエス様に就いて行きたいと願うものは、
自らの十字架を負い十字架の道に歩むのです。
どうしてそのようなことができるでしょうか。
パウロはコリントの教会にキリストが身代わりで死んでくださった人と表現しています。
 

2. 兄弟をつまずかせない
  つまずきをもたらす人は自分自身がつまずいているのです。
パウロは自分がつまずかないように注意を促しています。
自分自身と兄弟を正しく評価するのです。
また兄弟をつまずかせる罪は石臼を首につけられ
海に投げられるほうが神様に裁かれるよりましだというのです。
3. 人の値打ちを正しく知る人です
  人をつまずかせるのは人の値打ちを理解していないからです。
神様は人に天使を僕として送っておられます。
人に対して大きな期待を持っておられる神様の期待に立つなら
人をつまずかせることはないでしょう。
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