兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。
見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
偽善者たち。
まず自分の目から梁を取りのけなさい。
そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
聖なるものを犬に与えてはいけません。
また豚の前に、真珠を投げてはなりません。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。
求めなさい。
そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、
どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。
これが律法であり預言者です。
狭い門からはいりなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこからはいって行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
にせ預言者たちに気をつけなさい。
彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。
ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
良い木が悪い実をならせることはできないし、
また、悪い木が良い実をならせることもできません。
良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、
天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。
『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、
あなたの名によって悪霊を追い出し、
あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。
『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、
それでも倒れませんでした。
岩の上に建てられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、
砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、
倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、
権威ある者のように教えられたからである。
|
(マタイ 7章4〜29節)
|
|
|
今日の御言葉を正しく理解するには登場する人物の共通点を知らなくてはなりません。
|
1. |
共通点の1 |
|
二人の建てた家は同じような家を建てました。
この喩の前に狭い門と大きな門、良い木と悪い木の喩がありました。
この喩も同じような門であり木でありました。
しかしその結果は全く違っていたのです。
① |
共通点の2は二人ともに家を建てた環境が同じでありました。
今日のように環境整備されていないユダヤでしたので、
当然湖や川に近いところに建てたのでした。
|
② |
二人の建てた家に押し寄せてきた災害も同じものでした。
雨が降り、風が吹き、水が押し寄せてきたのです。
人生にはいろいろな試練がやってくるでしょう。
|
人それぞれ患難の内容は違うかもしれませんが、
人生の最後に神様に前で裁かれるということは定められているのです。
必ず死はやってくるのです。
|
2. |
二人の建てた家の相違点 |
|
① |
一方の家は試練がやってきても建ち続け一方は見事に砕け散ったのでした。
立ち続けた家には「襲い掛かる、落ちかける」という強い言葉が用いられ、
倒れた家は普通の語気の言葉でした。
簡単に倒れたということでした。
|
② |
それぞれの家の土台が違っていたのです。
岩の上に建てられた家と砂の上、土台なしに建てられていたという点です。
ルカ書には良く建てられたとありますが、
土台を含めよく建てられていたということです。
|
③ |
一方は賢い人で他方は愚かであったという点です。
愚かな人とは、無教養で、先見の眼がなく知恵がない人のことです。
建てた家の環境にどんな変化がやってくるかを予想しなかったのでした。
|
|
3. |
人生の土台とはキリストです |
|
人生の家を建てる賢い建築家のようにキリストの上に人生の家を建てるのです。
やがてこの世の患難が押し寄せてくるでしょう。
どんな患難でも抵抗できる人生は神様の知恵のうちに建てられた人生しかありません。
|