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● 2016年10月30日 「主の憐み」
 

イエスは、そこを去って道を通りながら、
収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、
「わたしについて来なさい。」と言われた。
すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
イエスが家で食事の席に着いておられるとき、
見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、
イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。
「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、
行って学んで来なさい。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

(マタイ 9章9〜13節)

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イエス様が使徒であるマタイを召された時マタイは2つのことをしました。
それはクリスチャンであるなら誰でもが体験するもので重要なものです。
何を神様は求めているのでしょうか。
 

1. 9節
 

マタイという名は「主の賜物」という意味がありマタイの福音書の著者です。
マタイ書ではアルパヨの子レビと言われ、
イエス様によってマタイと命名されたのでした。
マタイは収税所に座っていました。
当時ユダヤはローマの支配のなかにあり、
異邦人によって税金を徴収されていた手先がマタイでした。
「アルパヨ」「レビ」という純粋なユダヤの名を持っていながら
同国人から税金を取るのですから多くの人から憎まれていました。
また当時の取税人と同じように税金をごまかしもしていました。
人々は取税人を憎み、悪人とみなしていたのでした。
ところがイエス様はこのレビを召してマタイと命名したのです。
彼は収税所から立ち上がってイエス様に従ったのでした。
マタイは他の弟子達と違いその職を捨てたなら2度とは戻れないのです。
そのように私たちもイエス様を信じた時に捨てなければならないものがあるのです。
ある人には職業であったり、人生の生き方、価値観を変えるのです。
 

2. 10節
  マタイは救われたときに宴会を催しています。
イエス様、取税人、罪人とともに食事を共にするのです。
救われたクリスチャンのすべきことは人々をイエス様に出会わせることなのです。
人々を伝道するのに人々は教会に導くでしょう。
そして自分の環境で人々をイエス様を伝道するのです。
ペテロはユダヤ人は他国人と交流することを禁じています。
でもイエス様は病人には医者が必要であることと、主の憐み、
ケセドを忘れはならないと言われるのです。
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