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● 2016年8月21日 「新生する」
 

しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

(ガラテヤ 2章19・20節)

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今日多くの人々は自分はどこからきて何のために生きているかを知りません。
ただ一時的な快楽のために生きています。
このような人に永遠の喜びはありません、
彼らは真実の自分を忘れ、霊が死んだ状態で生きているのです。
しかしイエス様を信じた私たちは死んでいた霊が生き返り、
神様の子供となり永遠の喜びと希望の中に生きているのです。
神様はその独り子イエスキリストの肉を裂き血を流して、
私たちに救いの大きな恵みを与えてくださったのです。
この神様のくださった神様の子供として生まれ変わったことは新生と言います。
今日この新生とは何か学んでいきましょう。
ある晩のことです、ユダヤ人の指導者の一人のニコデモがイエス様を訪ねてきました。
彼はユダヤの指導者でしたが、その心に永遠の喜びがありませんでした。
このニコデモにイエス様は
「人は新しく生まれ変わらなくては神様の国を見ることはできません」
生まれながらのアダムの子孫は新生しなくてはならないのです。
 

1. 誤った考え
 

新生するには、人は努力をすればよいと考えます。
でもイエス様の模範に従っているだけでは新生することはできません。
聖書は自分の力で生まれ変われとは言っていないのです。
信仰の努力は良いことですがそれだけではだめなのです。
キリストの命によって生まれ変わるのです。内にある命が私たちを新生させるのです。
 

2. ニコデモを見ると
  彼はユダヤの指導者であり貴族でした。
パリサイ人で熱心な信仰者です。
イエス様も彼を教師と呼んでいたので学者だったでしょう。
しかし彼の中には救いはなかったのです。
この世にキリスト教は道徳や修養の宗教ではなく、
超自然的な霊に生き、聖霊様の働きによる永遠の命の道なのです。
3. どのすれば新生するのか
 

どうしたら古い自分は出ていき新生できるのでしょうか。
イエス様は天に挙げられた荒野の蛇を見上げよと言われました。
それは十字架につけられたイエス様を見上げる、受け入れよということです。
十字架のつけられたイエス様に自分を委ねるのです。
その時私たちも十字架についた者となって自分に死ぬのです。
そして神様の霊が注がれいのちに生きるようになるのです。
そのあと新生した命に生きるため十字架を負った生活をするのです。

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