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● 2016年7月24日 「灯を掲げる」
 

そこで、天の御国は、たとえて言えば、
それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。
『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
しかし、賢い娘たちは答えて言った。
『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。
それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』
そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。
用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。
しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。
だから、目をさましていなさい。
あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

(マタイ 25章1〜13節)

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天国は死んでから行くところではありません。
神様を信じた時すでに天国はやってきているのです。
このところで娘たちは天国の訪れを待っているのです。
そして彼女たちは皆手に灯を持っているのです。
灯とは神様の言葉がありそのために信仰の光が彼女にあるということです。
彼女と共に神様が臨在され、いのちの光を持ち、
神様の栄光の中に生活している徴なのです。
この光は信仰の徴にもなっています。
日曜日毎に教会に行く印、祈祷会に集い、聖書を学び神様の教えに生きる印です。
この世にすべてのクリスチャンは印としての灯を持っているのです。
この娘たちは皆花婿なるキリストを待っているのでした。
この時に重要なことは灯を灯続けることでした。
せっかく得た永遠の命を捨てて神様の恵みを失わないことが必要なのです。
信仰には2つのことが要求されます。それは子供のようであってはいけないのです。
 

1. 大人の信仰を持つのです。
 

灯を灯続ける思慮深さが必要なのです。
この思慮深い信仰は建築された家のように土台が肝心なのです。
その土台にキリストを据えなくてはなりません。
その土台に柱や壁が築かれ家が完成していくのです。
神様の御心に従って立てられることが肝心です。
 

2. 神様の御心に従った生活をするのです。
  キリストの愛の中に、十字架の愛を深く知る者にならなくてはなりません。
そして最後に愚かな娘は油の用意がなかったのでした。
いのち溢れる信仰生活の中で健全に信仰の家は築かれていくのです。
3. 教会生活がキリストの愛を体験する場所です。
  兄弟姉妹との交わり、奉仕などが健全な信仰を生み出すものなのです。
キリストの土台の上に十字架を体験し十字架の愛の中に成長していくのです。
そしてその時に聖霊様が私たちに関わっていてくださるのです。
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