私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が神のものであって、
私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。
途方にくれていますが、行きづまることはありません。
迫害されていますが、見捨てられることはありません。
倒されますが、滅びません。
いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、
それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
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(Uコリント 4章7〜10節)
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私たちは土の器であると言われました。
器はそれだけでは価値あるものではなく、
その中にものを入れた時価値あるものになるのです。
同様に心の中に神様を迎え入れた時人は価値ある者になるのです。
今日、人は心の中に神様を入れず、
悪魔を迎え入れているので今日の堕落と世の悪を生み出す結果となってしまったのです。
イエス様が十字架で血を流し命を捨てられたのは、
悪魔の支配を受けている人を救うためでした。
人として価値ある人生とはどんな人生なのでしょうか。
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1. |
四方八方から苦しむが窮しない |
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① |
この世に生きている限り、
多くの敵によって私たちは盗み、殺し、滅ぼされそうになります。
しかし十字架によって死と黄泉に勝利された、
悪魔に大勝利されたイエス様によって私たちも勝利者とされたのです。
イエス様は十字架のうえでテテレスタイすべて終われりと宣言してくださった。
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② |
この世は苦しみの嵐が吹いています。
律法が私たちを攻めたててきます。
でもイエス様の十字架は罪の債務証書を無効にしてくださったのです
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③ |
人生に闇と痛みがやってきます。
悲しみに勝利することが人にはできるでしょうか。
イエス様は悲しみに打ち勝ち人を慰める者となられた。
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④ |
人生には呪いが満ちています。
誰も人生にやってくる呪いから逃れることができません。
イエス様は十字架で身代わりの呪われた者となられたのです。
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2. |
途方にくれるが行きづまらない。 |
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この世に生きていて落胆することがあります。
家族のこと仕事のことなどでも
イエス様は人の及ばないことにでも力をもって解決してくださいます。
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3. |
迫害されても見捨てられない |
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イエス様を信じること、多くの迫害がやってくるとしても、
イエス様は見捨てることなく私たちと共におられるのです。
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4. |
倒れても滅びません |
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倒れるとは殺されると同じ意味を持っています。
死んでも滅びることなく永遠の命をもって存在するのです。
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