ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。
イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。
弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
そこで、そのサマリヤの女は言った。
「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、
飲み水をお求めになるのですか。」
――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。――
イエスは答えて言われた。
「もしあなたが神の賜物を知り、
また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、
あなたのほうでその人に求めたことでしょう。
そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
彼女は言った。
「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。
その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
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(ヨハネ 4章7〜11節)
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イエス様はサマリヤのヤコブの井戸におられました。
弟子たちは何か食物を得るために出かけて一人でおられたのです。
昼過ぎに一人のサマリヤの女が水を汲みに来たのです。
イエス様はこの女に「水を飲ませてください」
と声をかけると女は
「あなたはユダヤの人なのにどうしてサマリヤの女の私に求めるのかという返事でした。
当時ユダヤとサマリヤは国交がなかったのです。
サマリヤの人々はモーゼ五書を信じており、ゲリジム山が礼拝の場所と考えていました。
ユダヤはサマリヤ人をけ嫌っていたのです。
イエス様はこの井戸の水は飲んでも乾くものだが、
私が与える水はその人の内に泉となり流れると言われました。
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1. |
この女の人生は迷いの人生 |
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5人の男性を夫として共に暮らし、今は6人目の男性と暮らしていました。
その中には金持ちがいたことでしょう。
権力者、知識人がいたでしょう。
自然に戻り農業家、漁師がいたでしょう。
でもどの職業や頼りになる世のものでは幸せを得ることができませんでした。
永遠の命の水を与えるイエス様に出会わなくては
人生を満足させる生き方はできないのです。
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2. |
人は人生を潤す水を求めている |
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命の水とはなんでしょうか。
神様がアダムを創造し
最後に鼻から命の息を吹き込まれたとき人は生きるものとなったのです。
内に吹き込まれた神様の息はその人の内で泉となって人生の生きる価値を教え、
人生を幸せに導くものなのです。
人は神様から与えられた泉を捨て、自らの泉を求めて彷徨っているのです。
有名なアッチラ大王は自分の人生で幸せと感じた日は14日しかなかったと言いました。
アレクサンダー大王も同じような事を言ったのです。
金銭や権力をもって何でもできる者になっても
生ける水を持たないなら苦しみの人生しかないのです。
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3. |
生ける水はどうしたら得られるのでしょうか |
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イエス様はかわくものは私に求めよと言われました。
① |
イエス様に求めることです
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② |
渇きを知ることです。
罪がこの生ける水を得させないように妨害しているのです。
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③ |
十字架にこの解決を求めることです
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