私が手紙を書いたのは、 あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。 私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、 あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
多くのクリスチャンは信仰に対して正しい知識をもっていないので、 信仰を理解できず、しっかりとした信仰に立てなくて祝福を受けられないのです。 人々は信仰というのは、ただ無条件で信じなくてならないと考えているのです。 しかし信仰というものは、知って信じるものが信仰であって、 確かな知識に立って初めてその信仰が風が吹こうが、 天地が崩れ、地が沈んでも決して動じない信仰になるのです。
アブラハムには75歳の時に約束されたカナンの地を準備し、 イサクを捧げるときには藪にいけにえの羊を備え、 その将来にはイエス様を救い主として準備されたのです。 このように求めれば神様の準備された祝福に与かることができるのです。