私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。
ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。
私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。
もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、
からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
馬を御するために、くつわをその口にかけると、
馬のからだ全体を引き回すことができます。
また、船を見なさい。
あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、
ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。
同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。
あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。
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(ヤコブ 3章1〜5節)
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今日救いと言えば目に見えない心の癒しや天国と言った
将来の救いを考えてしまいますが、
聖書の救いは霊的なことはもちろん現実に起こる危険からの救い、
人生の苦痛からの救いを意味しているのです。
私達クリスチャンはこの聖書の救いをいかにして
人生に受け入れて行くことができるかこれが私達の課題なのです。
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1. |
救いを得るには |
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もちろん神様の用意された救いを知らなくてはなりません。
聖書のみ言葉を読み悟りを得るのです。
聖書には、神様の祝福が、人に与えられた神様の計画、
人に約束された救いが書かれてあります。
信じるものを知らなくては救いは実際にはなりません。
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2. |
救いはイエス様にある |
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この聖書にある救いはイエスキリストにおいて
成就したことを認めなくてはならないのです。
イエス様が祝福そのものであり、イエス様ご自身が救いそのものなのです。
聖書の救いのみ言葉が十字架のみ業によって具現化された方がイエス様なのです。
イエス様の十字架を通しイエス様を信じ受け入れることで救いは実現するのです
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3. |
救いを実現するために |
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聖書はクリスチャンは告白の使徒であると言っています。
これは神様のみ言葉をイエス様を信じる信仰によって告白するとき、
イエス様は神様にとりなしをして救いの祝福が起きるということです。
み言葉を知っているだけでは不十分、
信じているだけでなく信仰によって告白することで救いが実現するのです。
さらに告白は祝福をもたらすばかりか悪魔の妨げを取り除く力があるのです。
また告白は信仰を増し加える働きがあります。
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4. |
何を告白するのか |
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① |
具体的に罪の贖いを告白するのです
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② |
病から癒されていることを告白する。
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③ |
呪いから解放されていると告白する
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④ |
聖霊様を認め歓迎することを告白する
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このように神様の救いを大胆に告白していきましょう。
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