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● 2015年12月6日 「心の一新」
 

なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、
あなたを解放したからです。

(ローマ 8章2節)

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神様は私たちのために祝福をいつも用意される方です。
エジプトの地で430年間奴隷生活をしていたイスラエル人のためにカナンの地を準備し、モーセという指導者を40年間訓練して遣わされたのでした。
しかし、その約束の地に入れたのはヨシュアとカレブだけでした。
その理由は彼らの心は他の者とは違っていたということでした。
心が神様の御心にかなっていたことが祝福の違いなのでした。
ではどのような心を持つことが必要なのでしょうか。
 

1. 環境を見る目が違っていた
 

イスラエルは12族長をカナンの地を探るために送ったのですが、ヨシュアとカレブ以外の10人の報告は神様の約束の地は入れない、強い先住民が居て私たちは滅ぼされると否定的でした。
この報告で民は神様に罪を犯し彼らはカナンの地に入れなかったのです。
しかしヨシュアとカレブは逆の報告をしたのでした。
私たちはできる、彼らを打ち負かせると神様の視点を持っていました。
信仰の視点で物事を見なければなりません。
 

2. 恐れない。心を強く保つ
  10人の斥候の報告は先住民は強く、彼らの目に私たちはイナゴのように見えただろう、私たちは滅ぼされると恐れたのでした。
恐れは不信仰となるのです。
同じ環境であってもヨシュアとカレブはまったく反対の見方をしています。
恐れは誰の心にもやってくるでしょう。しかし私たちは恐れに信仰で打ち勝たなくてはなりません。
 
3. 困難な状況は祝福と捉える心
  ヨシュアとカレブは神様が約束されたことは実現すると強く信じていたのです。
人は姿かたちに囚われるのですが、神様は私たちの心を見て、信仰の心に働かれるのです。
 
4. 心を一新する
  よく私たちはイエス様はできるが私たちは弱いと口にします。
しかしイエス様も御自分からではなく神様にすべてを委ねておられました。
私たちもイエス様のように神様に委ねて自らできると告白しなくてはなりません。
イエス様のように私たちも神様の家・門なのです。
祝福がこの世に実現する家であり門なのです。
躊躇せずに祝福を求め心を一新していきましょう。
 
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