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● 2015年11月29日 「異言の恵み」
 

愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。
というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、
人に向かって話します。
異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。

(Tコリント 14章1〜4節)

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私たちの教会はペンテコステの流れのなかにあります。
それは使徒の2章で弟子たちが聖霊に満たされ異言を伴う聖霊のバプテスマを受けたことに由来し、又20世紀の初めにアズサストリートの教会に聖霊が下ったことから始まった聖霊運動の中にあるのです。
ペンテコステ教会の特徴は異言の祈りを聖霊のバプテスマと捉えることでした。
このために多くの福音派お教会から異端視されたのです。
のちに福音派の教会の中にも異言を語る聖霊のバプテスマを受けることが起こり、福音派の土台を持ち聖霊派となった教会がカリスマ派と呼ばれるようになりました。
いま世界で異言を語るクリスチャン5億人居ると言われ、ペンテコステの教会が世界の教会を導いているのです。
 

1. 異言は徴である
 

聖霊のバプテスマはイエス様を信じた時に受けたのであって、その後にそのしるしとして異言を受けるものです。
パウロはコリントの教会に異言を語らないクリスチャンがいることを書いています。
また異言を全てのクリスチャンが語ることを望んでいますが、異言を語らなくてはいけないとは教えてはいません。
 

2. 異言は聖霊様が語る
  異言はローマ書の中に切なるうめきを持って、聖霊様がとりなしの祈りをされる事だと書いてあり、コリントには霊によって祈るともあります。
人の意志の中にあって聖霊様が神様に祈る祈りなのです。
この祈りにあって人の霊は徳を得、霊的に成長するのです。
 
3. 異言は理解できないもの
  異言は基本的には人の理解を超えたもので理解できないものです。
ただ賜物として教会のために与えられた異言は解きあかしをもって教会を成長させるのです。
この異言は語るときに人の言語を司る前頭葉は働かないことが証明されています。
パウロが語ったように異言は知性では実を結ばないのです。
また異言の祈りは前頭葉の障害を持つ統合失調症や精神不安な症状に良い結果をもたらすと言われています。
神様の癒しをもたらすものなのです。
 
4. 異言を語るために
  異言は人の弱さをあらわにするものです。
知性では理解できない訳が分からず叫びのような祈りをする。
人の知性の限界を超えた神様に対する感謝のうめきであったり、苦しみの中から叫ぶ祈りなのです。
人の感情を神様に向けて祈る最高の祈りであり、カトリックにも同様の祈りがあるのです。
 
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